いまから130年ほど前に、江戸から北海道まで、3カ月をかけて馬と徒歩で踏破したイギリス人女性がいる。彼女の名はイザべラ・バード。山形県では、イザベラ・バードの歩いた足跡を保全する活動が始まったばかりだ。 |
米沢盆地の北端に位置する南陽市の丘陵地に建つ「ハイジアパーク南陽」に、1992年にイザべラ・バードを紹介する記念コーナーが設けられた。地図上に、その行程が印されてある。イザベラは玄人はだしのスケッチも残している
最近の人ではありません。明治時代に、横浜から北海道まで、日本人の青年通訳を従えて、馬で旅をした外国人女性がいたのです。 1878年、47歳のイザベラ・バードは、長い船旅の末に5月21日、横浜に上陸。江戸や横浜といった都会ではなく、「本当の日本」を見るために通訳兼従者を雇い入れて、東北から北海道への旅へと出かけます。 6月10日に江戸を出発。日光から会津、新潟を経て山形へ入り、秋田、青森、北海道を踏破。函館から船で9月7日に横浜へ戻るという、3カ月間の大旅行でした。 全行程1600キロにおよぶ旅の様子は、3歳年下の英国にいる妹に送った手紙をもとに、『日本の未踏の地』というタイトルで1880年に2巻本として出版され、ベストセラーとなりました。 日本では2000年に高梨健吉訳による『日本奥地紀行』が出版され(1885年出版の普及版)、最近では時岡敬子による全訳版『イザべラ・バードの日本紀行』(上下巻)が、08年に講談社学術文庫より出ています。 当時の東北の田舎にはホテルや旅館といった宿らしきものなどほとんどなく、地方の豪農や名士の家を訪ね歩きながら旅を続けます。村や町の人々、はなにしろ外国人を見るのは初めて。 宿舎となった部屋の様子をうかがいに彼女を「見学」に来るほど、珍しいことでした。しかも、ノミやシラミの出る布団、しつけのまったくなってない馬や、口に合う食べ物がないことなど、決して満足のいく旅ではありませんでした。 |
赤湯のぶどう畑から見る米沢盆地
それが、山形県の国道13号線沿い、高畠地方から赤湯にかけての地域でした。「米沢の平野は南に反映する米沢の町があり、北には湯治客の多い温泉の町、赤湯があって、申し分のないエデンの園で、『鋤ではなく画筆で耕されて』おり、米、綿、とうもろこし、たばこ、麻、藍、大豆、茄子、くるみ、瓜、きゅうり、柿、あんず、ざくろをふんだんに産します。 微笑みかけているような実り豊かな地です。繁栄し、自立した東洋のアルカディアです。充分にある土地はすべてそれを耕し、自分たちの育てたぶどう、いちじく、ざくろの木の下に暮らし、圧迫とは無縁――東洋的な専制のもとではめずらしい光景です」(『イザべラ・バードの日本紀行』上巻より抜粋)
山形新幹線の車窓からも確認できる「吉田橋」。奥羽本線中山駅の近くにある。三島県令の命により、吉田善之助が作った石橋で、橋柱は水の柱のオブジェになっている。イザベラが通ったであろう石橋だが、指摘されなければ顧みられずに通り過ぎてしまうほど
上山市指定文化財になっている堅磐橋(かきわばし)。二連アーチの眼鏡橋になっている
現在、山形県では、新潟から山形に抜ける「十三峠」や、美しい大堰が町の中心部をめぐる秋田県寄りの金山町など、イザベラがたどった道を再評価して保全・再構築する運動が起こっています。 奥の細道の松尾芭蕉の足跡と合わせ、130年以上前に東北を旅したイザベラと同じ視線で田舎の原風景を訪ねることができるようになるのも、遠い話ではないのかもしれません。 |
イザベラ・バードの足跡をたどるには、いったん「ハイジアパーク南陽」を訪ね、記念コーナーで情報を確認するのがベスト。露天風呂など7種類のお風呂も楽しめます。
TEL:0238-45-2200
開館時間:10時~21時30分
入館・入湯料:大人1200円
※休館日に要注意
山形・南陽市へは、東北自動車道・福島飯坂ICを降り、国道13号線で55km。フルーツ王国らしく、ぶどう(10月下旬まで)、蜜入りリンゴ(11月上旬まで)のフルーツ狩りも楽しめます。
< PROFILE >
長尾嘉津友
雑誌や書籍、ウェブなど、活字にまつわるメディアのプロデュースを手がけるエディトリアル・ディレクター。
旅行や写真が趣味であり、仕事。最近はクルーズに注目しています。
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