山里離れ、いまでも秘湯中の秘湯と呼ばれる二岐温泉。 権力争いに敗れた宮人が発見した宿には古い言い伝えがあった。 |
今回は、福島県にある、温泉通には有名な秘湯をめざす旅だ。 ゆるやかな勾配が続く田園風景を、ひたすら北西にクルマを走らせる。 カーブに揺られながらしばらく走ると、右手に羽鳥湖が見えてきた。 羽鳥湖は、昭和31年に完成した、周囲16km、最大水深31.2mの人造湖だ。 阿武隈川は、流域面積のわりには水量が少なく、川から離れた地域では干ばつの影響が大きかった。そこで水量が豊富な阿賀野川から取水し、白河盆地への農業用水供給を図るためにダム建設が計画された。 昭和初期に着工されたものの、第2次世界大戦のために一時中断し、戦後、建設が再開された。 この羽鳥ダムが堰き止めてできたのが羽鳥湖だ。 羽鳥湖高原の標高は約1000m。夏は避暑地としてにぎわう。湖の周囲にはキャンプ場があり、釣りや山登り、ゴルフなどを楽しむことができる。冬は温泉やスキー場を目的とする観光客も訪れる。 また、このあたりは近年では別荘地としても注目されている。 高速から約30分ほど走って国道118号に合流。西へ向かい、さらに今度は山道を再び南下する。 いよいよ秘湯の雰囲気が強くなってきた。 見えてきたのは、山間の旅館にしては大きな温泉宿。 ここが目的地の、二岐温泉・大丸あすなろ荘だ。 大丸あすなろ荘には、渓流に面した見事な露天風呂がある。 巨岩を配して作られた、野趣あふれる露天風呂。 屋外にある風呂はこれだけではない。 自然湧出の泉源を6本ももっているため、源泉かけ流しの露天風呂はまだある。林のなかに忽然と現れたかのような露天風呂「子宝の湯」。内湯から外へと続く「あすなろの湯」。いずれも、この風呂を堪能するために旅をする価値がある。 だが、この旅でほんとうに入りたかった湯船はこれらではない。 川に面した露天風呂とは明らかに異なる方向。小山のそばに一軒の木囲いの小屋が建っている。 入口の看板には、「自噴泉岩風呂」。まさしくこれが、林道をはるばる走ってきた目的だった。 自噴泉岩風呂の建物外観
足を入れてみた。湯船の底はでこぼこしており、その岩の隙間からときおり気泡とともに熱水が噴き出している。 まぎれもなく、地下から直接温泉が湧いているのだ。 泉質はカルシウム―硫酸塩温泉。 加水もせず、湯だまりに直接入れるのは、湯船の大きさの設定もさることながら、自噴する湯が熱湯ではないことが大きいのだろう。 この岩風呂が作られたのは、享保13年(1723年)。 この温泉は、安和2年(969年)に起こった、藤原氏による他氏排斥の最後の陰謀と呼ばれる安和の変の際、皇位継承に敗れた宮人が発見したものと伝えられている。 自噴泉岩風呂の内部。
右大臣藤原伊尹の陰謀に敗れたのは、左大臣源高明。謀反の首謀者との汚名を着せられた高明は大宰府に左遷される。 そのほか、土佐、佐渡、隠岐に流された公卿がいたが、落人のなかに、この地に流れてきたものがいたということか。 帰りがけ、旅館当主の佐藤好億氏に興味深い話を聞いた。 昭和39年の大雪の年に、文化財の仮指定を受けた木造の旧家屋が一部損傷してしまった。 指定をはずし、解体をすることになったのだが、建て変える費用などはない。 しかし、解体の際には宮内庁がかかわることになり、工事が始まった直後に作業はいったん中断され、家人でさえも立ち入り禁止となった。 それ以後は宮内庁の職員だけで作業に当たったという。 そもそも、旧家屋には「開かずの間」が存在し……。 その先については、私はここでは触れないでおこうと思う。 ぜひ、自分で足を運んで、直接ご主人に話を聞いてみてほしい。 ちなみに以前のこの宿の屋号は「大丸屋」。 新築した際に、「大丸あすなろ荘」という名をつけたのは高円宮様である。 |