三浦半島の東端に突き出た浦賀は、東京湾への入口であり、ペリーが来航して江戸に開国を求めた歴史のある海岸町だ。そこには明治維新を感じさせる残像があった。 |
ペリー記念館のジオラマ
1853年(嘉永6年6月3日)、ペリーが三浦半島の浦賀に来航。 好奇心に突き動かされた龍馬は、土佐藩に任命された湾岸警備を抜け出て、浦賀沖に停泊する黒船を見に行くというシナリオだった。ドラマは前半戦のクライマックスになっていて、蒸気船が岸辺に近いところまで大きく迫って来て、緊迫感のある見どころになっていた。 ところが、よくよく考えてみると、この設定にはかなり無理がある。 まず、下士である龍馬が藩の職務を抜けるなどということができるのか、という点だ。役職に対する縛りはかなり厳しいものがあるはずで、いくら好奇心が強いとはいえ、職務を離れるわけにはいかなかっただろう。 それから、地理的な問題。 土佐藩の屋敷は、現在の第一京浜(国道15号線)沿い、京急立会川駅近くの浜川中学校(東京都品川区)周辺にあった。この駅前にも、高知市から贈られた龍馬像がある。 ペリーの来航に合わせて、藩屋敷周辺の河口には砲台が作られ、浜川砲台と呼ばれていた。 土佐藩は品川海岸警備を命じられたが、この浜川河口周辺と考えるのが自然だろう。 ペリーが来航した浦賀の久里浜港までは、現在の道路をたどっても50km以上はある。徒歩で約11時間の道のりだ。 昔の武士は健脚だったのかもしれない。しかし、ドラマのように、警備の場面からすぐに黒船を間近で見られる磯に出られるほど、船は近くはない。 黒船は浦賀沖(横須賀市久里浜港)に停泊しているので、蒸気船が眼前に見えるというのは脚色が過ぎるだろう。 実際に浦賀に行くと、久里浜にはペリー上陸を記念し、1901年(明治34年)に建立されたペリー上陸記念碑が残されている。 その記念碑を中心としてペリー公園として保存されているが、歴史的記念碑のある観光地というよりは、この近辺の子どもたちが遊んだり、犬を散歩させるなどの一般的な憩いの場になっている。 そのペリー公園の一角に、ペリー記念館がある。 黒船来航を再現したジオラマや歴史的資料が展示してある記念館で、入館は無料だ。 ペリー記念館
所在地:神奈川県横須賀市久里浜7-14 TEL:046-834-7531 開館時間:9:00~16:30 休館日:月曜日(祝日のときは翌日)、年末年始 やはり、ここを訪れる観光客は、龍馬が黒船を目撃した設定に同様の疑問を抱いているようで、よく同じことを尋ねられるという。 「船があんなに近くに見られるはずはない」というのが常識的な結論なのだが、「もし龍馬が黒船を間近で見る可能性があったとすれば……」という話をしてくれた。 ペリーが1853年(嘉永6年6月3日)に来航した際、浦賀沖には4隻の艦隊があった。 旗艦「サスケハナ」(蒸気外輪フリゲート)、「ミシシッピ」(蒸気外輪フリゲート)、「サラトガ」(帆船)、「プリマス」(巡洋艦)。 開国の要求と同時に、ペリーは浦賀付近の測量を行っている。 そして6月6日には、幕府に対する威嚇行為もあって、ミシシッピが東京湾内を深く進んで測量をしている。もし龍馬が本当に蒸気船を見る機会があったとすれば、このタイミングではないだろうか、というのだ。 実際には、蒸気船自体はそれほど大きなものではなかっただろう。だが狂歌で「太平の眠りを覚ます上喜撰 たった四杯で夜も寝られず」とあるように、その存在感は、幕府を動かすのには十分だった。 龍馬は実際に目前で黒船を見たのか、彼が受けた印象や衝撃は大きいものだったのか。 正直なところ、それは測りかねる。 しかし、この黒船の到来により、日本はたくさんの若者を巻き込みながら、大きな転換期を迎えるのだ。 |
JRと京急が乗り入れする久里浜駅へのバスの便がいい西側と、観音埼のある東側を結ぶ
浦賀の渡船 TEL:046-841-1509(ミウラ総建) 営業時間:7:00~18:00ころ(12:00~13:00はお昼休み/荒天時運休) 料金:150円(子ども50円、自転車などその他50円) 駅を頂点に、西と東が海で分断されたようになっているのだ。 徳川家康はこの浦賀港に目をつけ、ここを外国貿易の拠点とするために奉行所を置くことにする。そして、江戸湾に出入りするすべての船改めを義務づけるのだ。 1720年(享保5年)、下田から浦賀に奉行所が移される。 その奉行所のある西側と、海を隔てた東側を結ぶために、享保10年頃から渡し船が行われるようになる。そしてそれはいまも、この地域の生活路として残されている。 直線距離にして、海上を300mほどだろうか。 すぐそこの距離なのだが、陸地をぐるりとまわると2km以上になる。 自転車でも乗り入れできる最大12人乗りの小さな船は、対岸にあるときは呼び鈴を押すと戻ってきてくれる。 観光スポットと呼ぶにはあまりにもさりげなさすぎるのだが、普段船に乗る機会のない生活をしていると、それが新鮮な体験に思えてくる。 徳田屋跡には記念碑が残されている
ここは徳田屋という由緒ある宿屋があった場所で、ペリー来航の際には、吉田松陰が黒船見物のためにこの宿に泊まり、佐久間象山と会談を行ったという。 残念ながら、その徳田屋は大正12年(1923年)の関東大震災で倒壊してしまい、もう残ってはいない。 この日の締めくくりに選んだのが、佐野天然温泉「のぼり雲」。 京急横須賀中央駅とJR横須賀線の衣笠駅のほど中間地点にある天然温泉の日帰り施設だ。 町中にあるものの、泉質は弱アルカリ性のナトリウム―塩化物・炭酸水素塩泉で、このあたりでは評判のいい湯だ。 地下800mから湧き出る源泉は29.9度と低温のため、加水はせずに加温している。いわゆる美人の湯で、湯あたりがやわらかく、肌がつるつるになるのが特徴だ。 佐野天然温泉 のぼり雲
所在地:神奈川県横須賀市佐野町4-5 TEL:046-851-2617 営業時間:9:00~24:00(最終受付23時) 入館料:大人1100円(0歳から小学生まで550円) 休館日:不定休 また、女性は内風呂のほかに、釜風呂があるのが特徴だ。 摂氏50度まで温められた蒸気のなかにひたって、静かに横たわってもサウナのように激しく発汗することなく汗を流すことができる。 こんな、町なかのさりげない日常のなかにも歴史や温泉を体験できる場所はある。 派手さはないが、ひっそりと歴史をたどる旅にも、また味わい深いものがある。 |
浦賀の渡船は、クルマなら横浜横須賀道路の浦賀ICから県道208号線を浦賀駅を過ぎてすぐ。東側乗り場は、観音埼方面へ向かい、ガソリンスタンド脇の細い路地を入っていくのだが、住宅地の生活道路のため、方向転換は難しい。乗り場脇に6台の駐車スペースがあるが、天気のいい週末は混雑するというのであまりお勧めはできない。西側乗り場の近くには愛宕山公園、浦賀奉行所跡があるが、いずれも駐車場はない。