日本には近海捕鯨が許されている地域がある。和歌山県の太地が有名だが、そのほかにも首都圏から身近なところで房総半島の和田の港がある。今回はクジラをめぐる旅を体験しよう。 |
広くおおらかな和田のビーチ
『C.W.ニコルの自然記』『C.W.ニコルの海洋記』などがそれで、当時のニコルさんはハムを食べているだけではなく(失礼、今もさまざまなエコ活動をしていますよね)、自然と人間の調和についてのエッセイを精力的に書いており、それをまとめた書籍だった。 自然記では自然の中に生きる男たちや、彼自身がカナダ、アフリカ、アラスカなどで体験した出来事が描かれていた。 海洋記では、捕鯨に触れた。 ニコルさんは日本の捕鯨文化の理解者であり、日本の「勇魚取り(いさなとはクジラのこと、つまり捕鯨師)」を主人公にした小説も執筆している。 その小説『勇魚(現・文春文庫)』の出版パーティと、日本の最後の南氷洋遠洋捕鯨船団(調査捕鯨でなく)が帰国する時期が一緒になった。 房総半島、和田の港では夏場だけ近海捕鯨が行われている
漁が終わって“お役御免”となった砲手(銛を撃つ係)などが途中シンガポールで下船して飛行機で駆けつけ持ってきてくれたのだ。 会場のみんなで行った、グラスの中でピチピチ音を立てる南氷洋の氷入りオン・ザ・ロックの乾杯は一生の思い出になった。 この本のおかげでぼくは初めて捕鯨に興味をもち、和歌山県の太地に取材に出かけた。 |
和田の料理店で出されたクジラづくし。お刺身に揚げもの
ぼくは別に捕鯨支持派でも反対派でもない。 ただ、日本という国の発展や歴史に「捕鯨」は欠かせないものであり、ひとつの文化を築いたという過去を太地の博物館で知った。 捕鯨の歴史は縄文前期からあったのは、貝塚などで確認されている。 戦国時代末期には捕鯨用の銛(もり)が開発され、組織的に捕鯨を行うようになる。 とくに名を馳せた地域が太地だった。優秀な船乗りや勇敢な漁師がいたことに加え、クジラが頻繁に来ること、クジラを取りやすい入江があること、クジラの見張り台になる高台があることなど、多くの好条件が融合する。 そして、捕えたクジラはさまざまな用途に余すことなく使われた。これが、日本の鯨文化だ。 房総半島の春は早い。温暖な気候はドライブに最適
「油だけ取って廃棄する」という一部の外国とは、明らかに一線を画していた。 太地にドライブをすれば、そのあたりの地形、資料が存分に見られる。 |
鴨川シーワールドではクジラの仲間、シャチがショーを
ただ、日本の各地には時期、頭数を制限して近海捕鯨が許可されているところがある。 たとえば、北海道の釧路、宮城県石巻、和歌山県の太地だが、そのひとつで関東唯一の捕鯨港が南房総市の和田町にある。 捕鯨期間は6~8月。頭数も制限されている。捕獲対象はツチクジラ。 千葉県での捕鯨は江戸時代に結成された勝山の「醍醐組」によって代々受け継がれてきた。やがて、昭和23年には和田町に場所を移す。現代、和田町あたりをドライブすると、「クジラ料理」の看板を見かける。 夏の間に捕獲したクジラを保存し、年間通じて食卓に出しているのだ。 かつて貴重な食料品として日本人が尊んだクジラが、いろいろな料理方法で出される。 今では貴重なクジラ料理を食べる旅。そして、足を延ばせば「鴨川シーワールド」でクジラの仲間がショーをするのが見られる。 房総半島でのクジラをめぐる旅、「クジラ料理」「テーマパークのかわいいクジラ」など、日本の歴史を背景に、子どもたちには“とてもいい勉強”ができると思う。 |
●南房総市観光協会
市内の見どころや和田のことなどがわかります。
http://www.cm-boso.com/
●鴨川シーワールド
海洋生物のこともお勉強。ショーでは大いに盛り上がりましょう。
http://www.kamogawa-seaworld.jp/index.html
< PROFILE >
木場 新
休日評論家。主な出版物に『温泉遺産』、『パックツアーをVIP旅行に変える78の秘訣』などがある。ウェブサイト「YOMIURI ONLINE」に「いいもんだ田舎暮らし」を連載(http://www.yomiuri.co.jp/tabi/)
木場 新
休日評論家。主な出版物に『温泉遺産』、『パックツアーをVIP旅行に変える78の秘訣』などがある。ウェブサイト「YOMIURI ONLINE」に「いいもんだ田舎暮らし」を連載(http://www.yomiuri.co.jp/tabi/)