秋田県横手市から岩手県平泉町に抜けるルートはかつて秀衡街道と呼ばれた「黄金の道」。消えてしまったその古道をめぐり、各地で探査が進みつつある。周囲を金山に囲まれた湯川温泉は、湯量豊富な湯治宿としていまも根強い人気を誇っている。 |
宿の裏手にある源泉では大量の湯が湧出している
高繁旅館 所在地:岩手県和賀郡西和賀町湯川52-140-15 TEL:0197-82-2333 日帰り入浴料:300円(8:00~19:00) 泉質:ナトリウム―塩化物・硫酸塩泉(低張性弱アルカリ性高温泉) 源泉:78度 湧出量:850リットル/分 出羽国平賀郡(秋田県横手市)と陸奥国和賀郡(岩手県北上市)を結ぶ街道で、その郡名の頭文字をとってネーミングされたものだ。 1880年(明治13)に秋田県と岩手県が共同で道を拓く工事に着手し、竣工後に命名されたという。江戸時代には秋田領からは南部道、盛岡藩からは岩崎街道、沢内街道と呼ばれており、平和街道という名称にはほど遠い。 横手市と北上市はほぼ同じ緯度で、平和街道は東西に真っすぐ結ぶ道となる。 両者の距離は約60km強で、現在は国道107号線が通り、JR東日本の北上線や秋田自動車道が走るなど、日本海側と太平洋側とを結ぶ主要な幹線ルートになっている。 さて、岩手県北上市の南には奥州市があり、そのさらに南が平泉町になる。平泉といえば、平安時代に清衡、基衡、秀衡の奥州藤原氏3代が栄華を誇った北の都だ。 源頼朝によって滅ぼされるまで、東北地方の中心地として当時の京都に匹敵するほど栄えていたという。 実際に清衡が創建した中尊寺に行くと、その逸話も説得力が俄然増してくる。 東北地方特産の金を使用したきらびやかな金色堂が、戦国時代の戦火を免れ、平安時代の栄華の輝きをいまに伝えているのだ。 では、この材料となった金はどこから運ばれたのか。 それを解くカギが「街道」にある。 平和街道の周辺にはたくさんの金山が点在している。これらを運ぶために横手と平泉とを結ぶ“黄金の道”が存在していたというのだ。 この古道は「秀衡街道」と呼ばれ、東北の至るところで語り伝えられてきた。 だが、現在ではこの街道は部分的なほんの一部にその名残がみられるだけで、どういったルートをたどったのかは把握しきれていないのだ 横手と平泉との間には山懐の深い奥羽山脈が連なっており、どの山道をたどっていったのか。ルートはまだ明らかになっていない。 使われなくなった古道はけもの道となり、やがては草木のなかに埋もれていく。 現在ようやくその調査がさまざまな地域ではじまったばかりだ。 平和街道のほぼ中間地点には、錦秋湖と呼ばれるダム湖がある。 この周辺には数多くの温泉宿や日帰り温泉施設があり、それらを総称して湯田温泉峡と呼ばれている。 錦秋湖から北へ和賀川を遡上していくと、湯本温泉や真昼温泉といった温泉地が点在する。 西和賀町のホームページでは、「湯本温泉は万治元年(1658年)に発見されたと伝えられ」とある。 1886年(明治19)2月に刊行された『日本鉱泉誌』(内務省衛生局編纂)によれば、発見について以下の記述がある。 「寛文五年癸丑某月村民瀧澤久助之ヲ発見セシト言フ」 これは「湯田鉱泉」についての記述だが、所在地が西和賀郡湯田村字湯本であることと、泉温が華氏196度(摂氏91.1度)であることから現在の湯本温泉と考えられる。 (注・寛文5年=1665年だが乙巳の誤記か。癸丑が正しければ寛文13年=1673年となる) また湯本温泉は、1893年(明治26)に芭蕉の『奥の細道』の追体験の旅に出た正岡子規が投宿したことでも知られている。 高繁温泉では山の幸と三陸の味を織り交ぜた料理が並ぶ。山菜も豊富で、その素朴さがしみじみとおいしい
川沿いに約15軒の温泉宿がぽつりぽつり。一番手前の集落から出途の湯、中の湯、奥の湯へと続いていく。 こちらは湯本温泉よりもやや時代を経た江戸時代に発見された記述が『日本鉱泉誌』あり、そのころからすでに三湯の名称は使われていたようだ。 奥ノ湯 寛政二年庚戍(1790年・11代将軍徳川家斉の時代) 中ノ湯 天保二年辛卯(1831年・12代将軍徳川家慶) 下ノ湯 正徳中ナリ (1711年~1716年ごろ・7代将軍徳川家継) 大正時代に創業したという、奥の湯の高繁旅館で体を休めることにした。 かなり大きな宿だが、湯量が豊富で源泉をぜいたくにかけ流ししていることで有名だ。 1階にある「おくのゆ」は混浴の露天風呂もある大浴場。内湯では源泉が豪快に滝のようになって浴槽に注がれていた。加水も加温もしない、自然のままの湯。 弱アルカリ性のため、湯がぬるりとしている。 温泉の匂いが苦手な人でも、無味無臭で体の芯からじっくりと温まるこの湯なら文句は出まい。 露天風呂はプールのように広く、中央には御利益がありそうな宿のシンボルの「金勢さま」が鎮座していた。 高繁旅館は「温泉は人間の健康に寄与する」という創業以来の教えを守りながら、滞在型の保養温泉をめざして湯治にも対応している。 湯治というと鄙びた温泉宿の印象があるが、ここはれっきとした温泉宿。それでい て湯治客のための料金設定や現代的な施設、週一度の医師による健康診断など、サー ビスが充実している。 これからの湯治の方向性を示す好例だと思う。 露天風呂に浸かりながら、これなら長逗留もいいな、とひとり空想にふけった。 目の前の御神体が威厳をもって屹立し、こちらを見下ろしている。 “再びこの地を訪れたなら、次回はぜひ「秀衡街道」を探索してみたい。金勢さま、そのときはぜひ力を貸してください” 再訪を願い、裸姿のままで「金勢さま」に向かって拝み続けた。 |
東京方面からの所要時間は、東北自動車道・北上JCT(浦和料金所から約6時間)から秋田自動車道へ入り、湯田ICまで約20分。そこから南下するように湯川をたどっていくと15分ほどで湯川温泉に着く。4月下旬から5月にかけては和賀川の上流の「安ヶ沢カタクリ群生地」が最盛期を迎える。5月下旬には「錦秋湖湖水祭り」が行われ、花火大会や湖岸30kmのマラソンコースで錦秋湖マラソンが開催される。錦秋湖(湯田ダム)では貯砂ダムの上流がカヌー・ラフティングエリア、中流部は水上バイクエリア、錦秋湖大沼公園付近から下流をウインドサーフィンとカヌー・ラフティングエリアとして安心安全にウォータースポーツが行えるよう開放している、また上流の錦秋湖川尻総合公園にある貯砂ダムは毎年7月から10月まで開放され、放水した滝の裏側から見る水のカーテンの中を歩くことができる。
西和賀町観光協会
所在地:岩手県和賀郡西和賀町川尻40地割73-11
TEL:0197-81-1135(観光案内9:00~18:00)