美ヶ原は長野県のほぼ中央に位置し、標高2000mの地点に台地状に広がっている。その山頂に当たる王ヶ頭に隣接するようにホテルはある。視界をさえぎることなくすべての方位を眺めることができ、雲海を染めるご来光は深く心に刻まれることだろう。 |
王ヶ頭山頂付近は広大な放牧地になっている
山頂に向かう途中で寝床を確保するには、自分でテントを担いでいくしかなく、山小屋を利用するのはごくまれなケースだ。 そこにはもちろんお風呂はなく、ベッドや布団すらないこともある。 雨や夜露をしのげればいい。それが当たり前だと思っていた。 ところが上高地の宿事情を知った時に、食事のメニューがあると聞いてかなり驚いた。食事だけではなく、風呂まであるという。 蔵王のようなスキー場としても有名な観光地であれば、山の懐に温泉街が形成されているのは知っている。 しかし、頂上をめざす登山道の中継地点や山頂付近に宿泊施設があるとなると話は別だ。 上高地の河童橋付近には数軒ものリゾートホテルがあり、さらにそこから数時間も歩いた山道の途中に、風呂のある山荘があるとは想像すらできなかった。 自分のような既成概念をもつほうがマイノリティなのかもしれない。 井の中の蛙は、自分の経験した範囲でしか物事を考えられないのだと、思い知らされたものだ。 あれからもうしばらく経つが、本格的な登山にチャレンジすることもなくなり、こうした山小屋のことはすっかり忘れてしまっていた。 最近のことだが、ちょっとしたきっかけで、長野県の美ヶ原高原に雲上の宿があることを知った。 写真からでは周囲の自然環境とホテルの施設とのイメージがつながらず、足を運んでみることにした。 家族用の貸切風呂。展望風呂や露天風呂からはもっと壮大な光景が広がる
窓の大きさが印象的な雲上のホテル
西に松本市、南には諏訪湖があり、北東に行けば上田市に出る。 この地にある施設で有名なのは、美ヶ原高原美術館かもしれない。 フジサンケイグループの財団法人彫刻の森美術館が、箱根の姉妹館として運営しているため、よくCMスポットなどで宣伝が流れている。 この一帯は八ヶ岳中信高原国定公園のため、山頂の王ヶ頭(2034m)付近にはマイカーでの乗り入れが規制されている。 雲上の宿の「王ヶ頭ホテル」は、まさにこの山頂にある。 ひとつめのルートは、中央自動車道・岡谷ICから東側の入口となる山本小屋駐車場をめざすことになる。国道142号を北上し、和田峠からビーナスラインを走る爽快なルートで、約60分で駐車場に着く。 もうひとつが長野自動車道・松本ICから西側入口の美ヶ原駐車場(美ヶ原自然保護センター)をめざすルートだ。国道254号から美鈴湖を通り、美ヶ原スカイラインを上っていく、約80分の行程だ。 さらにもうひとつ、上信越自動車道・東部湯の丸ICから山本小屋駐車場をめざすルートもある。国道152号から県道62号、美ヶ原高原美術館をたどり、約90分のドライブになる。 駐車場は標高約1900mで、ほぼ山頂付近までクルマで上がってくることができる。 駐車場からホテルまでは歩いていくか、ホテルの送迎バスがあるのでそちらを利用すればいい。 美ヶ原は深田久弥の『日本百名山』のひとつに数えられているが、クルマでもっとも 手軽に行ける山なのだ。 この日は東京で35度を超える猛暑日だった。避暑地であるはずの軽井沢でも気温は30度近くまで上がった。 雲上のホテルの標高は約2000m。 ドライブの途中から、クルマのエアコンを切り窓を開けると、気持ちいい涼しい空気が車内に入ってきた。 美ヶ原は広大な台地といっていいかもしれない。 地形は平坦で、あたりは放牧地になっており、牛がのんびりと草を食んでいる。 視界をさえぎる樹木がないために、周囲の山々を、360度見事に見渡すことができる。 この地形を活かしたのが、ホテルの背後にある電波塔だ。 かつては地上アナログ放送対応だったが、長野県を対象とする地デジ放送の電波塔が林立している。 それにしても、山並みの美しさはすごい。 北は妙高山や白馬の山々、南は八ヶ岳や遠くは富士山まで、西は槍ヶ岳を中心とする北アルプス連峰、東は浅間山や草津白根山、秩父連峰。 これほど遠方の、しかもすべての方位を望むことができる絶景スポットがあるとは知らなかった。 秋になると、たくさんのアマチュアカメラマンがこの地を訪れるようになる。 紅葉はもちろんだが、雲が低くなり、幻想的な雲海が眼下に広がるのだ。 雲の合間から顔をのぞかせる日本の尾根の峰々の頂は、この世のものとは思えない荘厳さを感じさせる。 西の夕日の方向にはひと際突き出た槍ヶ岳(3180m)が見える
そして夜景もまた、この地ならではの魅力がある。 寒さが厳しさを増す11月半ばごろまでは、天体望遠鏡を使った星空と夜景の集いが開催されている。 驚かされるのは、自然の風景だけではなかった。 ホテルはスイートルーム3室を含む全45室あり、モダンで快適な空間に大きな窓があって部屋に居ながらにしてこの眺望を楽しむことができる。 そして、山頂にもかかわらず、24時間入浴できる展望風呂と露天風呂が完備されている。 大自然の壮大さとホテルの快適さとのギャップが、この宿の最高の魅力になっている。 ふだん、温泉を紹介するときには泉質にこだわっているのだが、この宿は湧出する泉源はもたず、いわゆる天然温泉ではない。 湯船につかり、絶景を眺めながら思った。 温泉や風呂の素晴らしさの、伝えるべき“本質”とは何か。 それは決して泉質だけではないことを、しみじみと考えさせられたのだ。 この露天風呂とサンデッキとを往復するだけの一日があってもいい。 温泉は、こうした幸福感を与えてくれるものではないだろうかと。 天空の峰々は、移ろいゆく時とともにその表情を変える。 もう一度、王ヶ頭を訪れる機会があれば、湯船からその光景を眺める贅沢さを、改めて心ゆくまで堪能してみたい。 |
山本小屋駐車場からビーナスラインを下り、県道67号を松本方面に向かうと、ひっそりとしたなかに2軒の名宿がたたずむ扉温泉がある。美ヶ原の南西麓、標高1050mの薄川上流の渓谷沿いにあり、消化器系疾患によい温泉として知られてきた。温泉入口には日帰り入浴施設もあり、露天風呂も楽しめる。
扉温泉 桧の湯
所在地:長野県松本市入山辺8967-4-28
TEL:0263-31-2025
営業時間:10:00~19:00(受付30分前)
泉質:単純温泉
泉温:40度
入浴料:300円(子ども200円)
< PROFILE >
長津佳祐
観光やレジャー、スローライフを中心に編集・執筆を手がける。二地域居住を考えるブログ「デュアルライフプレス」をどうぞよろしく。 http://blog.duallifepress.com/
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