後生掛温泉は標高1000mの八幡平国立公園内にある。ミネラルを豊富に含んだ泥風呂と、首だけ外に出す箱蒸し風呂が人気の湯治宿だ。 |
宿泊棟にはベッドのある洋室もある
後生掛温泉旅館 所在地:秋田県鹿角市八幡平字熊沢国有林 泉質:単純硫黄泉 源泉:95度 外来入浴:7:00~18:30 入浴料金:400円 TEL: 0186-31-2221(旅館部) 0186-31-2222(湯治部) 私の温泉の師であった温泉達人の故・野口悦男氏は、生涯3200湯あまりの入湯数を誇った。全国には約3700の温泉があるというが、離島や山深い秘湯などもくまなく巡らないとこの数字には到達しない。日本の温泉はほとんど制覇したといってもおかしくないほどの、湯めぐり人生をまっとうした。 せめてその一割ぐらいには達しているだろうか、と思いを馳せる。 そういえば、と気づくことがある。 私の温泉旅行はほとんどが短期間で、いわゆる長期滞在する「湯治」は経験したことがない。 草津(群馬)、肘折(山形)、鳴子(宮城)、乳頭温泉郷(秋田)など、湯治に対応する温泉地には足を運んでいるものの、療養のために自炊で長期滞在というスタイルが、これまでの自分の温泉旅のスタイルとは異なっていることに気づかされたのだ。 正統派の「湯治」とはどのようなものなのか、その好例が秋田県、後生掛温泉にある。 後生掛温泉は、比較的新しい温泉地だ。 湯治場の開場は大正7年(1918)。旅館が開業したのは昭和22年(1947)になる。 現在、客室30室(収容人数100名)の宿泊棟と、5棟(収容人数200名)からなる湯治村とに分かれている。 とくに人気があるのは、地熱で1年中床が暖かいオンドル宿舎だ。 床に寝そべっているだけでも温熱効果があり、リウマチや神経痛に悩んでいる人に効能があるといわれている。 自然散策路のあちこちから噴煙があがる
泥火山は1mほどの隆起部分しか見えないが、その下、数mの深さのミニ火山だ
海抜1000m、八幡平国立公園の真っただ中。 道はよく整備されており、一周30~40分ほどで散策できる。 ここには日本一の泥火山がある。地表に盛り上がった1mほどの泥の中から、ぼこっぼこっと音を立てて泥が吹き上げられている。 大湯沼のあたりにくると噴煙と沸騰した温泉の濃厚な蒸気が立ち込め、原始の世界とはこういうものなのか、との思いと、温泉への期待がますます大きくなる。 温泉湧出口のオナメ、モトメには、温泉地名の由来となった伝説が込められている。 オナメとはこの地方の方言で「妾(めかけ)」、モトメとは「本妻」をいう。 約300年前、というと、江戸時代が始まって100年ぐらい後のこと。 三陸から流れてきた九兵衛は、牛を飼い地獄谷のこの地に住み着いた。 3年目の夏、生死をさまよう大病を患う。このとき看病したのが、恐山に向かう巡礼者であった若い娘だった。 恐山は、慈覚大師円仁によって貞観4年(862)に開かれた山岳信仰の霊場だ。現在の青森県むつ市にあり、死者の口寄せをするイタコで有名だ。 娘の看病の甲斐あって九兵衛は全快し、それから3年、ふたりは幸せな時を過ごす。 だが、九兵衛には、久慈に許嫁と子どもがいた。 妻は7歳になる子どものために、夫を探してようやく地獄谷にたどり着いた。 そして、妻の存在を知った娘は、地獄谷大石のそばに草鞋を残し、姿を消してしまう。 女として女を知る妻は号泣し、来世での幸せを願って、自らも地獄谷に身を投じるのである。 「後生を掛けて」逝ったオナメとモトメ。この地の由来はそんな悲しい物語にあった。 先ほど、後生掛温泉を特徴づけるひとつが、湯治村のオンドルであることに触れたが、泥火山の泥を利用した「泥風呂」も珍しい施設で人気が高い。 名物の「箱蒸し風呂」。顔は比較的涼しいのでサウナよりも耐えられる
温泉保養館の一画にある「泥風呂」。床に泥が沈んで層をなしている
とくに女性は、美肌や温湿布効果ですべすべになると興味津津だ。 男性は泥湯よりも箱蒸し風呂のほうに惹かれる。 蒸気を逃がさないように首にタオルを巻き、木箱から顔だけを出して扉を閉める。すると首から下はサウナのように蒸気で温められる。 ほかにも滝湯、露天風呂など、形態の異なる7つの温泉浴を交互に楽しむことができるのが、後生掛温泉の大きな魅力だ。 後生掛温泉は酸性の単純硫黄泉だが、温泉の効能は泉質によって異なる。 湯治をする際に、泉質は大きなポイントとなるので、ここでまとめておきたい。 私が編集にかかわった『温泉遺産』(野口悦男監修+日本温泉遺産を守る会編・実業之日本社刊)より、温泉の種類と効能を一部抜粋する。 まずは後生掛温泉の泉質である硫黄泉と酸性泉から。 硫黄泉 特徴:卵の腐敗臭のような匂いで、炭酸ガスを含んでいない硫黄泉と、炭酸ガスや硫化水素を含んだ硫化水素泉がある。鉄や銀製品は黒く変色する。 効能:高血圧、動脈硬化、慢性婦人病、慢性皮膚病など。乾燥肌には不向き。 鶴の湯温泉(秋田)、万座温泉(群馬)など。 酸性泉 特徴:殺菌効果が高く、お湯に入るとピリピリと肌を刺すような刺激がある。肌の弱い人はただれることもあるので注意が必要。 効能:慢性皮膚病、慢性婦人病、月経障害、筋肉痛、関節痛、糖尿病など。入浴と飲泉で貧血、慢性消化器病など。 登別温泉(北海道)、玉川温泉(秋田)、草津温泉(群馬)など。 単純温泉 特徴:温泉1リットルの固形成分や遊離炭酸が1000mgに満たない含有量のもの。一般的に無色透明、無味無臭だが肌触りがやわらかで入り心地がいい。pH8.5以上をアルカリ性単純温泉と呼ぶ。 効能:リウマチ、関節痛。腰痛、筋肉痛、動脈硬化症など。 蓮台寺温泉(静岡)、下呂温泉(岐阜)など。 二酸化炭素泉 特徴:湯の中に大量の炭酸ガスが含まれており、湯につかると肌に小さな気泡が付着する。 保温効果に優れ、脈拍を上げずに血液の循環をよくする働きがある。 効能:高血圧症、動脈硬化症、運動障害、冷え症、更年期障害、不妊症など 長湯温泉(大分)、別府温泉(大分)など 硫酸塩泉 特徴:口に含むと少し苦みを感じる。マグネシウムを含む正苦味泉、ナトリウムを含む芒硝泉、カルシウムを含む石膏泉などがある。傷を癒す効能がある。 効能:正苦味泉/血圧を下げる、脳卒中の予防、芒硝泉/慢性便秘、肥満症、石膏泉/リウマチ、打ち身、皮膚病など。 法師温泉(群馬)、粟津温泉(石川)など 含鉄泉 特徴:鉄分が含まれており、貧血症にいい鉄泉と、造血作用を活発にする緑礬泉がある。湧出したばかりは無色透明だが、空気に触れると茶褐色や緑色に変化する。 効能:飲泉で貧血や慢性消化器病など。入浴で月経困難症、筋肉痛、関節痛、更年期障害など。 有馬温泉(兵庫)、地獄温泉(熊本)など。 炭酸水素塩泉 特徴:重炭酸土類泉と重曹泉がある。マグネシウムやカルシウムには鎮静作用や炎症抑制効果がある。重曹を含んでいるものは肌の新陳代謝が活発になる。 効能:慢性皮膚病、切り傷、やけどなど。入浴と飲泉で慢性消化器病、肝臓病、糖尿病、胆石、慢性胆のう炎、痛風など。 高峰温泉(長野)、平湯温泉(岐阜)など。 塩化物泉 特徴:海水のようにしょっぱい味がする。皮膚に付着した塩の結晶が汗の蒸発を防いで保温効果がある。「熱の湯」「温の湯」などと呼ばれる。 効能:関節痛、打撲、冷え症、慢性婦人病、不妊症など。入浴と飲泉で貧血、慢性消化器病、慢性便秘など。 湯河原温泉(神奈川)、中宮温泉(石川)など。 放射能泉 特徴:ラドンなどの放射能を含み、無色透明で無臭。別名ラジウム温泉として親しまれている。尿酸を尿から出すので「痛風の湯」とも呼ばれる。 効能:高血圧、動脈硬化、慢性皮膚病、慢性婦人病など。入浴と飲泉で痛風、慢性消化器病、神経痛、胆石など。 栃尾又温泉(新潟)、三朝温泉(鳥取)など。 これまで湯治は、病の「治療」という観点でとらえられてきた。 温泉を利用した医学治療は「温泉療法」であり、「湯治」はオルタナティブな民間療法というイメージが強い。 だが、2000年ごろから予防医学という言葉が広く知られるようになり、08年にメタボ健診(特定健康診査・特定保健指導)が導入されると、「湯治」に対する考え方も次第に変化してきた。 治療だけではなく、心身の「保養」や「癒し」としてとらえ直したときに、「湯治」には新たな可能性が生まれてくる。 湯治という温泉旅のスタイルで、私は、 (1)湯力があること (2)連泊できること (3)自炊できること の3つを必要不可欠な要素と考える。 それに加えて、 (4)人とつながること (5)独創性があること を挙げておきたい。 従来の湯治では、(4)の「人とつながること」は、ともに治療する仲間という、利用者の共感と連帯感に支えられてきた。 「癒し」というウェルネスにまでハードルを下げた場合には、どのようにして人と人とをつなげていくかという温泉地としての「仕掛け」も必要になってくる。 後生掛温泉は、これらすべての条件を高いレベルで満たしている。 この5つの要素をどのように再構築していくか。 これからの新しい湯治のあり方を考えるときに、「編集力」「デザイン力」が大きなヒントとなっていく。 日本の温泉は、これからもっともっと楽しくなっていくと思う。 |
4月下旬~10月下旬は岩手県側の東北自動車道・松尾八幡平ICより八幡平アスピーテラインで松尾、八幡平頂上経由でアクセスできる。松尾八幡平IC より27km、約1時間。
ただし、冬季は山越えとなる八幡平頂上側アスピーテラインと国道341号田沢湖線が通行止めになるので、秋田県鹿角市から国道341号を南下するしかない。11月上旬~4月下旬までは、東北自動車道・鹿角八幡平ICより国道341号、トロコ温泉、アスピーテラインを経由して八幡平スキー場方面をめざす。鹿角八幡平ICより39km、1時間30分。
< PROFILE >
長津佳祐
観光やレジャー、スローライフを中心に編集・撮影・執筆を手がける。ブログ「デュアルライフプレス」
http://blog.duallifepress.com/もよろしく。
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