千葉県船橋にある船橋大神宮は、東京湾で操業する漁師さんたちの深い信仰を集めていたといいます。そして、境内には「灯台」が残っているのだそうです。いったいどのような灯台なのでしょうか!? さっそく船橋散策に行ってきました。 |
船橋駅の周囲の路地。そこには「活魚」などの看板を掲げる小さなお店がありました
海老川に架かる海老川橋。「船橋」の地名の由来となった船が象られています
マンションと自動車道と小さな漁船。かつての船橋の面影が少し…
東京湾方向に目を向けても鉄道路線や、万里の長城のごとく果てしなく続く自動車道の防音壁が望めるだけで、とても海の街だったとは思えません。 しかし、クルマから降りてぶらりと散策すると、ベッドタウンとは異なる風情が漂うのを感じられます。 路地に軒を連ねる小料理店には「活魚」「あさり」「寿司」などの看板…。 海老川には特徴ある橋が架かり、遊歩道も整備されています。 大神宮に続く道の橋は「海老川橋」と呼ばれ、船が象られています。 かつて、海老川は幅が広く、船を並べて橋の代わりにしたそうです。それが「船橋」の由来であり、当時の様子を橋のモニュメントが表しているのです。 潮の香りに誘われて、海老川に沿って東京湾方向をめざせば、マンションが並び、自動車道を目の前にする入り江に小さな漁船が何艘も浮かんでいました。 手入れが済んだ漁業用の網も、欄干で次の出番を待っています。 東京湾の小さな港、船橋は今でもかつての面影を残していました。 |
船橋大神宮の鳥居。商業地と住宅地に囲まれた小さな大神宮です 御鎮座1900年! 東京湾の漁師たちの信仰を集めました 境内には奉納相撲の土俵やさまざまな神社などがあります
基本的に大神宮とは天照大神を祀る伊勢の皇大神宮(内宮)、または天照大神。あるいは伊勢の皇大神宮と豊受大神宮(外宮)の総称です。 天照大神や伊勢の皇大神宮を祀る神宮が全国に点在するなかで、真相のほどはともかく船橋大神宮は「日本一小さな大神宮」と呼ばれています。 しかし、鳥居から続く静かな道、歴史の中で大きくなった樹木には、船橋駅周辺の喧騒とかけ離れた静けさがあり、とても「日本一小さな…」で済ませてしまう場所ではありません。 掲げられた看板には「御鎮座1900年」。 関東で有数の歴史を誇り、その起源は東国平定の成就祈願に始まるそうです。 ただし、もともとは地方の太陽神である「意富比(おおひ)神)」が祀られており、のちにこの一帯が伊勢神宮に寄進されてから意富比神と天照大神が同一視されたのではないかという説もあります。 ところで、船橋大神宮の境内には灯台があるのです。 今よりも海岸線が手前にあったころ、船橋の漁師たちの信仰は船橋大神宮に集まりました。 その期待に応えるように、境内に灯明台が設置されたのでした。 |
これが船橋大神宮の「灯明台」です。1895年に停止するまでの15年間、船橋港の漁船の安全を見守りました 船橋を散策すると「焼あさり」や「落花生」の看板が目に入ります
上方を出航して日本海を北海道まで進んだ北前船には、讃岐の金刀比羅宮(こんぴらさま)のお札が貼ってあったために、日本海沿岸に暮らす人々でさえ、金刀比羅宮を知っていたといいます。 一方、船橋を含めた江戸前の漁師にとって、船橋大神宮はかけがえのない存在でした。彼らの信仰は船橋大神宮に集まりました。 信仰を集めた神宮は、漁師たちの期待に応えたのでしょう。境内には常夜の鐘があり、夜間に沿岸を航行する際の目安にされていました。 しかし、その鐘は戌辰戦争で焼失してしまいます。 その後、地元の人々の志と援助によって、境内の小高い丘に灯明台が設置されました。 「政府公認の民設灯台」として認可された、石油によって点灯する灯明台は、1880年から1895年まで機能していたという記録が残っています。 現在では海岸線は南に移動し、船橋大神宮の周囲に海の面影はありません。 また、灯明台も大きく育った樹木に遮られ、海岸を照らす機能はなくなってしまいました。 それでも、お正月の3日間は公開されます。さらに、1月のうち1日限定で船橋大神宮の灯明台には電気による照明が灯ります。 船橋の大神宮には昔と今の海の物語がありました。 |
< PROFILE >
遠藤 里佳子
旅行雑誌ライター。国内外の旅を多く取材。全都道府県を制覇(通過ではなく宿泊をしてカウント)したのは32歳のとき。ハワイやカナダ、オーストラリア、東南アジア、中国など太平洋圏に詳しい。
遠藤 里佳子
旅行雑誌ライター。国内外の旅を多く取材。全都道府県を制覇(通過ではなく宿泊をしてカウント)したのは32歳のとき。ハワイやカナダ、オーストラリア、東南アジア、中国など太平洋圏に詳しい。