陸路が発達するまで瀬戸内海は交通の要衝であり、そこにはいくつもの信仰が生まれました。天橋立、松島と並び日本三景のひとつに数えられる宮島もまた古代から自然崇拝の対象です。冬でも比較的温暖な宮島へ、ドライブしてみませんか?
「日本三景の一の価値は弥山頂上からの眺望に有り」と、宮島の最高峰から望む多島美の美しさを称えたのは伊藤博文でした。
伊藤博文は周防国出身ですから瀬戸内海の美しさは幼い頃から知っていたはずです。その彼が言葉にするくらいですから、なるほど弥山からの眺望は抜群。明治時代後期には弥山への登山路が整備され、頂上をめざす人は後を絶ちません。
宮島と周辺の海域は1934年に瀬戸内海国立公園に編入されました。1952年には国の特別史跡、特別名勝になっています。
また、宮島の海岸の一部は2012年にラムサール条約に登録されて、水鳥の生息地としての環境も維持されています。
しかし、世界中から注目されるまでになったのは、1996年に厳島神社と弥山の原始林が世界遺産に登録されたからです。
国立公園、世界遺産、ラムサール条約などに指定された宮島と厳島神社は、やはり日本の中でも特別な地といえるでしょう。
人口2000人弱の宮島に、国内外から年間300万人を超える観光客が訪れるのもうなずけます。
日本には庶民信仰のひとつとして“山岳信仰”があります。富士山、御嶽山、大山、金刀比羅宮がある象頭山などが有名ですが、宮島もまた「霊威が感じられる」として、島全体が信仰の対象でした。
593年には厳島神が鎮座され、806年に弘法大師が弥山を開基して真言密教の修験道場となりました。
平安時代には山岳宗教の対象として三鬼大権現が祀られています。
長い歴史のなかで厳島神社が大きく発展するのは、平家と1118年生まれの平清盛の大きな信仰と擁護があったからでしょう。
海上に立つ巨大な社殿は平清盛によって整えられたものです。そのほか、平家が納めた「平家納経」をはじめとした工芸品が現在でも多数保管されています。
夏の例祭である「管絃祭」は京都で行われていたものを平清盛が宮島に移し、船上で行ったのが起源となっているほどです。
私が初めて宮島に行ったのは2001年でした。
ある雑誌の連載企画で、日本にある世界遺産に温泉達人と呼ばれた今は亡き野口悦男さんとともにでかけました。
飛騨の白川郷、白神山地、日光などを旅したのですが、そのひとつが宮島でした。
世界遺産に登録されたところであれば、どこでも観光客が押し掛け、それにともなっておみやげ店や食堂などが増えるものです。しかし、温泉達人と出かけたのは豊富な温泉地を抱えるところが多かったので、一部地域の賑わいは別として、周囲は自然に囲まれたひっそりした場所がほとんどでした。
しかし、宮島は違いました。
フェリーが頻繁に行き交い、島に渡れば、名物である焼きガキを食べさせるお店やおみやげ店が軒を並べています。
観光客を見ればたくさんの鹿が集まってきます。
事前にある程度の情報を仕入れてから取材にでかけるのが常なので、おみやげ店が多いこと、観光客が多いこと、鹿がすぐに寄ってくるのは調査済みでした。
それでも、原始林に覆われた弥山や海に浮かぶ大鳥居、御本社本殿を中心に海に張り出す高舞台などはとても神聖で、俗世界からは隔離されているように思っていました。
たしかに、おみやげ店が並ぶ地域と神社境内は別区画ですが、それでもわたしが抱いていた厳島神社のイメージは、完全に独立した別世界だったので、その混沌さにとても驚いたのを覚えています。
それから歳月が経った2012年秋、台風の影響で厳島神社が水没しました。さらに、暴風によって大鳥居の屋根も破損しました。
先日訪れた宮島は、とっくに修復が終わり、初めて訪れたときとほとんど変わらない風情でわたしを迎えてくれました。
厳島神社は長い歴史のなかで災害によって何回も破損し、その都度島民や信仰篤き人々の手によって、平清盛公が造営した当時の姿に修復されているそうです。
おみやげ店や飲食店を開き、宮島の恩恵を存分に受けているように見える人々が、実は影でこの美しき島をずっと支えていた……それは混沌ではなく神と人の結び付きなのだと気が付きました。
宮島と宮島口(フェリー乗降港)には何軒ものおみやげ店、飲食店がありますから、参拝後はもちろんこれらのお店を覗くのが最大の楽しみになります。
ただし、販売しているものはお店が変わってもそれほど違いはありません。
まずは木工製品、「杓子(しゃもじ)」と宮島彫は名産品です。
近年ではオリジナルTシャツやトートバッグなどの宮島オリジナルも人気が上昇中。
でも、やはりお腹を満たす喜びにはかないません。
お菓子ではもみじ饅頭、冬の風物詩といえるのは広島名産のカキ。
それらを横目で見ながら、わたしが一直線に向かうのは「うえの」。野口悦男さんに連れていってもらった、極上あなごめしのお店です。
このお店、住居スペースだった2階を個室に改造、和の部屋にテーブルを備えてお酒とあなごめしなどを出してくれます。
最初のときもあなごとタレの絶妙な加減に舌鼓を打ったのですが、そのときにご主人に言われた言葉がわたしの心に残っていました。
「本当は丼よりお弁当を食べていただきたいのです。丼だと一気に口に運んでしまいますが、お弁当ならお箸できちんとひと口ずつ運ばなければなりません。すると味わいが増すのです」
宮島の旅の締めくくりは、あなごのお弁当になりました。
遠藤 里佳子
旅行雑誌ライター。国内外の旅を多く取材。全都道府県を制覇(通過ではなく宿泊をしてカウント)したのは32歳のとき。ハワイやカナダ、オーストラリア、東南アジア、中国など太平洋圏に詳しい。