仙台市と山形市を結ぶ国道の幹線ルート沿いに、1300年以上の歴史をもつ温泉地がある。行基が発見し、源頼朝が奥州藤原氏征伐の際に入浴した温泉は、いにしえの雰囲気を残したまま、そこに存在していた。
所在地:宮城県仙台市青葉区作並温泉元湯
TEL:022-395-2211
●泉質:ナトリウム・カルシウム-硫酸塩・塩化物泉
●源泉温度:鷹の湯54.4度、河原の湯54.6度、新湯52.9度
●湧出量:鷹の湯13.5?/分、河原の湯10.7?/分、新湯17.2?/分
●pH:鷹の湯8.3、河原の湯8.3、新湯8.2
●日帰り入浴:大人1500円、子ども800円(小学生以上)/(11:00~14:00/日祝~13:00)
ちろゝゝと焚火すごしや山の宿
はたごやに投げ出す足や蚋のあと
涼しさや行燈うつる夜の山
正岡子規の作品に、「はて知らずの記」という紀行文がある。
これは松尾芭蕉の足跡を訪ね、1カ月かけて東北地方を旅した記録で、その印象を俳句と文章でまとめ、新聞に連載した。
先の句は、宮城県の作並温泉を訪ねた際に子規が詠んだものだ。
明治26年(1893)7月19日から8月20日までの旅の様子は、同年7月23日から9月10日まで21回にわたり、自身が入社した日本新聞社の新聞『日本』に掲載された。
明治22年(1889)5月に肺結核との診断を受けた子規にとって、決して楽な行程ではなかっただろう。ただ、体調が悪化することになる日清戦争への記者としての従軍は、明治28年(1895)のこと。この時期はまだ体調に余裕があったものと思われる。
上野駅を出発し、福島県の白河から飯坂温泉を経由し、宮城県の松島に至る。
そこからは西の山形に向かって峠越えをして、最上川が流れる大石田へと向かうルートだ。
宮城から山形への峠越えの際、子規が投宿した作並温泉は、120年経ったいまでも、仙台の奥座敷として、変わらずその名を留めている。
作並温泉は、杜の都宮城県仙台市から、クルマで約40分で行ける一大温泉地だ。
国道48号沿いにある温泉で、仙台-山形間のほぼ中間に位置する。
仙台-山形間は、笹谷トンネル(現山形自動車道笹谷IC~関沢IC間)の開通により、笹谷峠を通過する国道286号線沿いのルートが主流となっている。
だが以前の主要道路は、その北を通る国道48号が、仙台-山形間の最短ルートだった。現在も、道路の状況がよく整備され、無料で通れるために、山形県天童市以北に向かう物流トラックのメインルートとして活用され、通行量は多い。
作並温泉はその国道沿いにある。
大旅館が建ち並ぶ風景が姿を現し、車窓からは大きな旅館の建物や看板が見える。
そのなかのひとつ、ひと際目立つ「鷹泉閣岩松旅館」が、子規が訪れた温泉宿だ。
岩松旅館は350名も収容可能なコンベンションホールをもつ大旅館で、作並温泉で最も古い歴史をもつ。
道をはさんだ反対側に湯神神社があり、その境内に文政3年(1820)に建立された石碑があった。
岩松対馬尉藤原信寿から数えて12代目に当たる岩松寿長(善蔵)が、仙台藩士大塚頼恒に撰文を依頼した石碑。
作並温泉の縁起はそこに記されていた。
[ちなみに信寿は奥州弘前城主の津軽(藤原)信寿(1669-1746)かとも思われたが、世代にずれがあり、筆者の推測の域を出ていない]
温泉の発見は養老5年(721)。行基が奥州をめぐっていた際、渓流の響きとブッポウソウの鳴き声に誘われて幽谷の斜面を下りると、そこに碧色の泉水をたたえながら湧き立つ湯気があったという。
時代を下って、源頼朝が奥州藤原氏を征伐する際にも入湯したという伝承が残っている。
兵を休めている際、頼朝が飛ぶ鳥に矢を放ち、それを追って深い渓谷へ降りてゆくと、湯煙を上げてこんこんと湧き立つ温泉を発見。一羽の鷹が湯壺に身を浸していたという。岩松旅館の屋号はこの故事にならったものだ。
また、10代藤原寿盛(秀蔵)と11代寿隆(喜惣治)が、寛政8年(1796)に仙台藩に願って「幽間辟遠之境」を拓き一村と成す、とある。
11代喜惣治は、岩松家に秘された名湯を開き、世の人々にこの効能を分かち合いたいと藩に願い出た。その願いは叶い、巨木を倒して岩山を割り、道を拓いた。湯壺を作り終えたときには8年もの歳月が流れていた。陸奥仙台藩第8代藩主、伊達氏第24代当主の伊達斉村公(1775-1796)はその功労を讃え、「鷹乃湯」の名称を授けたという。
作並温泉は、このように数々の開湯伝説が残る東北の名湯だ。
しかし、現在の近代的な印象のエントランスからは、古湯のイメージが伝わってこない。国道沿いの大旅館には、もうかつての面影は残っていないのだろうか。
支配人に案内され、天然岩風呂に向かう途中、その印象は一変した。
目の前に、断崖に沿って溪谷を下りていく、木造の階段が姿を現した。昭和初期に建造された、風情のある八十八段の木造階段。ここから先だけが、時代から取り残されているような印象だ。
いまから50年ほど前には、宿の敷地に茅葺の建物や蔵があったのだと支配人は教えてくれた。昭和61年に全館を建て替えることになり、茅葺の建物は取り壊され、蔵は扉と梁を残してカフェにリノベーションされた。
一方、岩風呂だけは昔のまま、手をつけずに残そうということになった。
渓流が増水し、木造階段の下部が流されてしまったこともある。
だが渓流につながる階段とその先にある天然岩風呂だけは、開湯当時の面影を残し、いまもそのまま残しているのだという。
天然岩風呂は泉質の異なる岩風呂が4つある。
鷹の湯、河原の湯、新湯、瀧の湯。
そのうち瀧の湯を除く3つが「ぶくぶく自噴泉」だ。
すなわち、どこからも引湯せずに、湯船の底や壁面から熱水が吹き出し、そのまま湯船となっている浴槽だ。
温泉を発見した場所にそのまま浴槽が設けられた、いわば奇跡の温泉。
無色透明、無味無臭。
弱アルカリ性のピュアな湧温水。
岩盤の隙間に手をかざすと、湯がこんこんと湧き出ているのがわかる。
伝説にあった「鷹の湯」とは、このことだったのか。
にわかに自然の恵みのありがたさを感じた。
新湯だけはあとから設けられた湯船だが、鷹の湯、河原の湯は昔からその場所にあるという。
子規が「はて知らずの記」に著した句文。
その一字一句が、実感をともなって心に染み入ってくるかのようだ。
<作並温泉に投宿す。家は山の底にありて翠色窓間に滴り水声床下に響く。絶えて世上の涼炎を知らざるものゝ如し。
ちろゝゝと焚火すごしや山の宿
はたごやに投げ出す足や蚋のあと
涼しさや行燈うつる夜の山
温泉は廊下伝ひに絶壁を下る事数百級にして漸く達すべし。浴槽の底板一枚下は即ち涼々たる渓流なり。盖し山間の奇泉なりけらし。
夏山を廊下つたひの温泉かな>
長い階段を下った先には、広瀬川清流沿いに設けられた岩風呂があった。
その清冽な渓流にはイワナやヤマメの稚魚が泳ぎ、せせらぎの音が寝室の床下からも聞こえてくるかのようだ。
清涼な湯に浸かり、水の音を聞きながら、宿主の気概と意気に大いに感じ入った。
こういう温泉が残っていることを、感謝したくなるような、そんな心持ちになった。
東北自動車道・仙台宮城ICから国道48号で21㎞、約25分。仙台市内からは27㎞、約40分の道のり。山形市内からは国道13号経由、天童から国道48号で43㎞、約50分。国道沿いにある温泉地なのでアクセスは便利だ。
長津佳祐
ゴルフや温泉、クルーズ、スローライフを中心に編集・撮影・執筆を手がける。山と溪谷社より共著で『温泉遺産の旅 奇跡の湯 ぶくぶく自噴泉めぐり』を上梓。北海道から九州まで自噴泉の湯船を撮り下ろしで取材した、斬新な切り口の温泉本になっている。
ブログ「デュアルライフプレス」http://blog.duallifepress.com/