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福島と会津若松とをつなぐ国道115線を逸れ、土湯トンネルに入らずに土湯峠に向かうと、複数の温泉宿が点在する温泉郷へと誘われる。野地温泉は個性的ないくつかの浴槽をめぐりながら、白濁した硫黄泉を堪能できる。

野地温泉ホテル
所在地:福島県福島市土湯温泉街字野地
TEL:0242-64-3031
●泉質:単純硫黄温泉(硫化水素型)
●源泉温度:50.3度
●湧出量:318?/分
●pH:6.18
●日帰り入浴:大人800円、子ども400円(4歳以上小学生まで)/10:00~15:00(土日祝~14:00)



野地温泉ホテル外観


男性大浴場「剣の湯」


女性大浴場から続く露天風呂「羽衣の湯」


野趣あふれる露天風呂「鬼面の湯」


「天狗の湯」は外と中の浴槽がトビラ越しにつながっている

木造の湯小屋でぶくぶく自噴泉の「千寿の湯」

浴場は時間によって男女入れ替え制になっている

福島県土湯峠。

鬼面山山腹の標高1200mにあるこの峠は、福島から会津若松に抜けるメインストリートとなる。
ここには国道115号線が通っており、現在は土湯トンネルのおかげで峠越えをしなくともあっという間に抜けることができる。
トンネルに向かう国道を逸れ、旧道に入れば、この街道沿いに個性ある6つの温泉宿が点在する。今回向かう温泉はそのひとつだ。

福島市側から旧道に入ってすぐのところに、旧跡を知らせる看板が立っていた。
「小峠古戦場」
ここは戊辰戦争の際、会津藩と官軍である仙台藩が対峙した戦場跡地なのだという。

看板の説明書きにはこうある。
<慶応4年(1866・※注1868の誤り)、仙台藩を先発とする官軍が陣を構え、大峠に布陣する会津軍と対峙した古戦場で、当時の模様を「・・瀬上主膳を隊長として築州藩(※筑州藩)五十の兵を加えた八五〇の兵を土湯に進め、会津街道小峠六合坂に陣を築いて、大峠の頂上で待ち構える会津藩と戦いを交えた。両軍の戦いの声は鬼面山にこだまし、打ち合う大砲の煙りはもうもうとたちこめて空を覆い、戦いは数時間に及んだが、夕暮れになっても勝敗は決まらず両軍はお互いに退いて、戦いは終わった。」と伝えています。>
(※注は筆者による)

幕末当時、会津藩は苦境にあった。
新政府は仙台藩、米沢藩をはじめとする東北地方の諸藩に、お目付け役となる奥羽鎮撫総督府を置いていた。
仙台藩、米沢藩は会津藩に同情的で、両藩による会津救済嘆願を、閏4月12日、九条道孝総督に手渡している。
しかし、長州藩士世良修蔵下参謀ら、総督使はあくまで武力討伐せよという強硬姿勢を崩さない。東北の諸藩は薩長の軍門に下り、会津征伐に向かうか、もしくは奥羽越列藩同盟の名において薩長に宣戦布告するか、いずれかを選択しなければならない状況に追い込まれてしまった。

仙台藩はやむなく会津藩境に出兵。
その、一触即発の様子を綴った手記が残っている。

仙台藩大番士佐藤信の遺稿『戊辰紀事』より、参戦した兵士、大隊長瀬上主膳隊の大槻定之丞の証言。
<敵陣の横向大峠と味方小峠の距離およそ二丁に過ぎず。樹木を楯とし一番小隊橋本隊進撃し、敵間わずかに三、四十間、大峠下まで進み、隊長瀬上抜刀、衆兵を指揮し、敵は大峠より拳下りに連発雨のごとし。我が兵登るあたわず、続いて三、四の手進む。この時、敵味方大砲発射。砲撃大雷のごとし。この戦、味方一名傷つく、大木を楯とするをもって死傷少なし。軍監の陣笠は内金、外銀をもって目標となすの軍法なり。時に陣笠夕日に輝き、敵の銃丸雨のごとし。故に笠を脱して見れば、二カ所の銃傷あり。敵は大峠関門より東西峯伝いに銃兵をして、乱発せしむ。>
(出典:『仙台戊辰戦史』星亮一著)

大義なき戦いでいかに不戦を望んでいるとはいえ、前線はまさに緊迫した状態にあった。
このままでは本格的な戦争に突入してしまう。

前線にある武将とて、その思いは同じだ。
会津救済嘆願提出前の同じ頃、仙台藩に所属する伊具郡小斎領主佐藤宮内は、猪苗代湖の南、須賀川に陣を進めていた。そこで偶然にも会津藩士と接触。打開する道を探っている。

<小斎領主、大隊長の佐藤宮内は須賀川の大和屋に宿陣していた。
佐藤はじっとしている事が嫌いだった。敵情視察のために二人を連れて勢至堂口の長沼付近まででかけた。
長沼の茶店に入って休憩していると、奥座敷に侍が三人、話し合っているのが見えた。茶店の亭主に「どちらのご家中か」と聞くと、「水戸様のご家中です」という。「ではぜひ、お目にかかりたい。拙者はこれから会津へでたいので案内してくれるよう取り次いでくれ」と亭主にいうと、侍が引き受けてくれた。
話し合ってみると、なんと会津藩士だった。この辺りは水戸の領地なので水戸藩を名乗ったのだった。
佐藤が身分を明かすと三人の侍は勢至堂口の関門まで案内してくれた。そこに会津藩隊長の木村熊之進がいた。佐藤が、
「仙台藩は朝命によってやむなく進攻したが、会津と戦って無駄な血を流す事は考えていない。会津が一日も早く謝罪降伏してもらいたい」
というと、木村は
「同感だ」
と答えた。そして、
「いっその事、世良修蔵を討ち取ることもやぶさかにはあらず」
といった。佐藤も同感だった。誰もが戦争を望んではいなかった。戦争を望んでいるのは、薩摩と長州だけだった。この日はこれで別れたが、佐藤は部下の兵右衛門を再度、遣わし謝罪降伏を求めた。その後も木村とは何度か接触した。>
(出典:同著)

小峠をはじめ、会津藩との間でいくつかの衝突があったものの、仙台藩の心情は会津藩に近かった。

この後、閏4月20日未明、仙台藩士姉歯武之進らが下参謀の世良修蔵を殺害。
仙台藩は奥羽鎮撫総督府軍を撃破して、総督九条道孝ら参謀の身柄を拘束し、仙台城下に軟禁する。
そして、それに呼応するように、会津藩は白河城を攻略。

東北の雄藩と薩長軍との全面戦争が、こうして始まっていく。
閏4月から7月にかけての白河口の戦い(白河城攻防戦)へと突入していくことになるのだ。

小峠の古戦場をあとにし、旧道をクルマで走る。
すると、ほどなく大きなホテルが姿を現した。
今回の目的地、土湯峠温泉郷のひとつ、野地温泉だ。

外観からは想像できないが、このホテルは自家源泉をもつ温泉宿で、豊富な湯量を元に、趣向を凝らした6つの湯が楽しめる。

開業は明治元年。
慶応4年の小峠での争いの後、同年に元号が変わってすぐ開業したことになる。

男性、女性大浴場は「剣の湯」と「扇の湯」。
内湯には白濁した湯がなみなみと湛えられており、ぜいたくにかけ流しされている。
時間ごとに男女入れ替えで入浴できる浴槽がたくさんあるので、女性大浴場のみ、内湯から外に抜けたところに女性専用露天風呂の「羽衣の湯」がある。

後述するが、宿にあるすべての湯は同じ源泉だ。
湯煙が上がる源泉口に山の水を引いて通すことで温度を調節し、各風呂へと引湯している。

男性が楽しめる露天風呂ももちろんある。
ロビー階から階段を上がったところにある「鬼面の湯」は、山の斜面に面し、天井がない野趣あふれる露天風呂で、夜間にはライトアップされて幻想的な雰囲気が漂う。

 「天狗の湯」ではおもしろい構造を発見した。
内湯の外に六角形の半露天風呂があるのだが、内側の浴槽と露天風呂の浴槽がつながっており、ガラスのトビラを開けると湯に入ったままで行き来できるようになっている。
露天風呂に行くのに、浴槽から上がる必要がないという斬新な発想。
これまで数多くの露天風呂を見てきたが、このような仕掛けは初めてだ。なぜいままで気づかなかったのだろう。

そして、一番心を惹かれたのは、階段を下りたところにある「千寿の湯」だった。
木造の湯小屋に総ヒノキの浴槽。
頭上の太い梁の上には、子宝祈願に通じる木製のイチモツが鎮座している。
大きなヒノキの浴槽は3つに仕切られており、一番奥の浴槽にだけ、新鮮な湯がそそがれている。その温度は約50度。
仕切り板の中央に穴が空いており。湯はそこを通って隣の浴槽に移る。当然温度が異なり、奥は45~46度、中が42度~43度、手前が40度~41度と自然に冷めていくというわけだ。
湯底は板敷。じつはこの板の下は空洞になっており、わずかだが岩の間から湯がしみ出てくるのだという。気泡までは確認できなかったが、板敷の隙間から新鮮な湯が湧いてくるということで、この浴槽のみ「ぶくぶく自噴泉」と認定することにした。
浴槽脇の板塀の裏側には木製の大きなベンチが置かれていて、浴室にいながらにして休憩をとることができる。熱い湯と何度も行き来して、長風呂を楽しめるというわけだ。

これら男女別の大浴場を除き、すべての湯は3時間ごとに男女別の入れ替えをすることになっている。1泊すれば必ず入浴のチャンスがめぐってくるわけで、湯めぐりを楽しむにはもってこいだ。

 「千寿の湯」の浴槽の木枠に頭を乗せ、ゆったりとした気分になっているところへ、3人の宿泊客が服を着たまま浴室をのぞきに来た。
「ほらいいだろう」と、常連客が友人を連れだって解説している様子。いい浴室がいくつもあるので、飽きずに湯めぐりが楽しめる。この湯は、たしかに人を誘いたくなる。

会津藩の歴史をたどって旧跡をめぐるなら、こちらを拠点にするといいだろう。
不条理に直面し、不遇な運命をたどった幕末の志士たちにはたいへん申し訳ないかもしれない。
それでも、湯めぐりの際、こうして彼らの心情を察して感慨にふけることで、すこしはお許しいただけるだろうか。


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東北自動車道・福島西ICから国道115号で約40分。西鴉川トンネルに入る手前で旧道へ。そこから約7分。磐越自動車道・磐梯高原ICから国道115号で約40分。土湯トンネルの手前で旧道に入り、土湯峠を越えてから約2分。土湯トンネルを抜け、いったん福島市側に出てから旧道に入ったほうが時間的には早い。磐梯吾妻スカイラインで土湯峠に行き、そこから福島市方面へ走るルートもある。
< PROFILE >
長津佳祐
ゴルフや温泉、クルーズ、スローライフを中心に編集・撮影・執筆を手がける。山と溪谷社より共著で『温泉遺産の旅 奇跡の湯 ぶくぶく自噴泉めぐり』を上梓。北海道から九州まで自噴泉の湯船を撮り下ろしで取材した、斬新な切り口の温泉本になっている。
ブログ「デュアルライフプレス」http://blog.duallifepress.com/
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