「おでかけマガジン」では何度か温泉キャンプの魅力を語り、それができるキャンプ場を紹介してきました。海の日の連休に体験したのは、その豪華版ともいえる「日本秘湯を守る会」会員の温泉宿でのキャンプでした。
「秘湯」という言葉はテレビや雑誌を通じて広く浸透している。細い山道を登って辿り着いた山奥の温泉1軒宿などが秘湯のイメージだろう。
秘湯という造語が最初に世に出たのは昭和50年のこと。ある旅行代理店の創業者が、バスも通らないような小さな温泉宿に声をかけ「日本秘湯を守る会」が発足したのがきっかけになる。当初、賛同したのは全国の33軒の宿だったという。
当時は高度成長期を背景に、観光地では温泉宿の鉄筋コンクリートによる大型化が競われ、旅館はホテルに名称を変え、観光バスなどによるパックツアーが盛んだったころだ。
山奥の小さな温泉一軒宿は完全にその流れに遅れた。しかし、「秘湯」としてひとつのグループになることで、共同での宣伝や告知、交互誘客などのメリットが生まれ、小さな宿のかすかな希望になったというのが実情だろう。
結果的にこの試みは成功する。大きな出費を伴う大型化によって経営状況が苦しくなる温泉ホテルがバルブ崩壊後に続出するなかで、個性に富んだ宿あるいは身の丈に合った改修などを施してきた日本秘湯を守る会の宿は、多くが健全な経営を保ち、熱心な固定客をつかむという状況にある。
そして、現在では会員宿は178軒を数えるまでになった。
それらの宿は山奥の1軒宿ばかりではなく、なかには大きな温泉地にあり、それなりの規模を誇るものもある。また、源泉かけ流しであることが加入条件ではないので、湯量が豊富ではないために循環浴槽の宿や、冷鉱泉の宿もある。
しかし、貴重な地球の贈り物である温泉と周囲の自然をたいせつにする取り組みや、温泉文化を維持する心意気はすべての宿に共通するところだ。さらに、経営者研修会や女将研修会なども開催され、それぞれが研鑚に励んでいる。
だからこそ、「日本秘湯を守る会」の宿を訪ね歩く温泉ファンは少なくない。合計10軒の会員宿に宿泊すると1泊が無料になる『秘湯の宿巡り スタンプ帳』の発行を行っているが、2006年のスタンプ帳による年間招待者は1万4000人を超えている。
「日本秘湯を守る会の宿はどんなところなのか」「どんな温泉があるのかしら」、そんな関心と、行って体験した温泉の素晴らしさ、居心地のよさが温泉ファンの心をつかんだのだろう。
ぼく自身も「日本秘湯を守る会」の会員宿にはずいぶん世話になっている。
温泉達人として名を馳せた故・野口悦男さんに連れられて多くの宿に泊まり、そこの大将や女将と温泉文化について、地酒について多くを語りあったものだ。
どれだけの会員宿を訪ねたのか、いい機会だから数えてみた。
北海道3軒(会員宿8軒)、東北27軒(59軒)、関東14軒(28軒)、信越・北陸27軒(46軒)、東海5軒(15軒)、近畿・中国・四国5軒(8軒)、九州7軒(14軒)、合計すると88軒(178軒)となり、制覇率5割弱といったところだ。
もちろん、10回近く足を運んだ宿もある。それぞれが特徴的な露天風呂や湯小屋、浴室をもっており、旅館名を聞けばそれを思い出せるほどである。つまり、会員宿はどれも個性豊かといえるのだ。
なかでも、広大な源泉かけ流しの露天風呂や自然湧出の“ぶくぶく泉”をもつ宿は印象が強い。
そのひとつに単純泉と炭酸水素塩泉の2種の源泉をもち、湯量がとてつもなく豊富なために、巨岩を利用した日本最大級の露天風呂をもつ会員宿がある。露天風呂からは広大な森と北アルプスが眺められるというプラスα付きだ。
この大露天風呂の横に小さなキャンプサイトがある。キャンプ場として宣伝したり、キャンプ場ガイドに掲載されているわけでもなく、「知っている人が来ればそれで十分」という支配人の考えもあるために、知る人ぞ知る存在ではあるのだが…。
ここは日帰り入浴が可能ではあるが、れっきとした温泉宿だ。言ってみればキャンプ場はおまけみたいなものだから、このコラムでもあえて名は明かさない。
「どうしてもキャンプをしてみたい」と思う方は、日本秘湯を守る会のホームページからあたりをつけて問い合わせしてみてほしい。
また、キャンプをする際にも、大声を出さないなどのきちんとしたマナーが必要となる。あくまでも、温泉宿の巨大露天風呂の横のスペースを“借りる”といった意識が必要なのである。
温泉や入浴施設が設置されているキャンプ場も数多くあるが、それはやはり付帯施設であって脇役にすぎない。キャンプの汗を流そうというスタンスだ。
しかし、ここは違う。大露天風呂が主役なのだ。
だから、キャンプの手順も変わってくる。普通ならテントなどの設置が第一。
ところがここに着いて大露天風呂を見れば、テント張りは後からで十分という気になる。まずは、大露天風呂の天然温泉に身を沈めることから始めたくなるのだ。
大露天風呂からの景観を楽しみ、打たせ湯を肩にあて、洞窟風呂に行ってみる。そこかしこに置かれた岩に寝転がってもいい。
温泉を堪能してからテントを張る、それで十分だ。なにしろ、ここではサイトでゆったりするより、大露天風呂でくつろぐほうが得策だからだ。
ちなみに、大露天風呂は混浴だから、男性も下腹部をタオルで覆うのがルール。世俗的なことは考えず、都会の日常も忘れ、地球の恩恵に授かればいい。
こうして、雄大な温泉キャンプの時はゆったりと過ぎていった。
もちろん調理の時間は必要だったが、キャンプ場で行うようなほとんどのことはやらなかった。時間があれば温泉に浸かっていたのである。
ぼくら温泉とアウトドアが好きな仲間はここでのテントライフ(というよりは入浴)を過ごし、他のキャンプ場では体験できない“温泉キャンプ”を楽しんだ。
そして、翌日はテントをクルマに締まって宿で1泊した。なぜなら、ここの料理長の腕を知っているためだ。
山の幸や地元の食材を工夫した料理の数々は、あの料理人・神田川俊郎さんをして「おいしい」と舌鼓を打たせた絶品。飛騨牛や川魚、朝食で出る地元グルメの漬物ステーキを見逃すわけにはいかない。
テント泊では味わえない至福のグルメをいただくには、宿に宿泊する必要があるというわけだ。
こうして、大露天風呂キャンプと極上グルメを堪能したのだった。
木場 新
休日評論家。主な出版物に共著の『温泉遺産の旅 奇跡の湯 ぶくぶく自噴泉めぐり』、一部執筆&プロデュースの『温泉遺産』、『パックツアーをVIP旅行に変える78の秘訣』などがある。ウェブサイト「YOMIURI ONLINE」に「いいもんだ田舎暮らし」の連載ほか。