吉野温泉は吉野山の谷川沿いにひっそりとたたずむ一軒宿。古来、金峯山の修験者たちがひそかに訪れ、島崎藤村などの文人も逗留した宿として知られている。浴槽の脇に設えられた蛇口からは、効能豊かな微炭酸の鉱泉が流れ出てくる。
国宝・金峯山寺蔵王堂。特別開帳の時だけ、秘仏の金剛蔵王権現を拝顔できる
吉野朝宮址。明治期に廃仏の嵐に遭い、実城寺は廃寺となっている
吉水神社。吉野山のはかなくも華やかな歴史の舞台となった
吉野温泉 元湯
●住所:奈良県吉野郡吉野町吉野山902-1
●泉質:含二酸化炭素-カルシウム・ナトリウム-炭酸水素塩泉
●泉温:12.7度
●pH:6.4
●湧出量:7.85?/分
●日帰り入浴:700円(大人・子ども共通 フェースタオル無料貸し出し)
●営業時間:11:00~14:30(受付終了)
TEL:0746-32-3061(要当日予約)
●住所:奈良県吉野郡吉野町吉野山902-1
●泉質:含二酸化炭素-カルシウム・ナトリウム-炭酸水素塩泉
●泉温:12.7度
●pH:6.4
●湧出量:7.85?/分
●日帰り入浴:700円(大人・子ども共通 フェースタオル無料貸し出し)
●営業時間:11:00~14:30(受付終了)
TEL:0746-32-3061(要当日予約)
吉野温泉元湯の男性風呂。沸かし湯だが源泉かけ流し100%
浴槽脇の蛇口をひねると炭酸泉の源泉が出る。鉱泉の甘さにびっくり!
山の食材を活かした懐石料理。丁寧な仕事が光る。イワナの塩焼きは30分かけて焼くから骨までふっくら
手入れの行き届いた窓の外の庭園になごむ。季節感のある設え
明治26年3月14日~4月22日まで、22歳の島崎藤村が滞在し『訪西行記』などを執筆。『眼鏡』に吉水院などの記述がある
京都へは幾度も訪れたことがあるのに、奈良はじつは、人生で一度しか踏み入れたことがなかった。それも3年前に、和歌山県からの山越えで、全都道府県観光制覇の最後の県になったのが奈良だった。
今回、ようやく王道ルートである、京都側からアプローチすることができて、多少浮き立った気持ちになった。
目的地は吉野山(よしのやま)。
吉野山といえば、春の桜のイメージが強い。
山全体を薄紅色の白山桜(しろやまざくら)が覆い尽くし、約3万本にもおよぶ桜の名所として名高いことは、さまざまな報道でよく知っている。
文禄3年(1594)には、豊臣秀吉が桜見物の宴を開いている。
ところで、吉野のいったいどこに行けば、そのような風景を愛でることができるのか。
秀吉が見た風景、訪れた場所とはどこだったのか。
現場でそれを確認するためにも、一度は訪れてみたい場所であった。
吉野山は、2004年7月に、世界遺産にも登録されている。
「紀伊山地の霊場と参詣道」として、高野山や熊野と合わせて、その霊場としての価値を認められたのだ。
吉野山は、北部の吉野川から南部の金峯神社(きんぷじんじゃ)にかけて、次第に標高が高くなっていて、順に下千本、中千本、上千本、奥千本と呼ばれている。
その中腹ある金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂が、修験道の中心、金峯山寺修験本宗の総本山にあたる。
役小角(634-701)が開いたとされる修験信仰の根本道場で、本堂の蔵王堂と仁王門は国宝、秘仏蔵王権現(ざおうごんげん)は重要文化財に指定されている。
役小角が、金峯山で一千日の修行の末に、桜樹で金剛蔵王権現を彫って祈り始めた。これを受け、行者たちは桜材を用いて彫刻するようになり、神木として苗を寄進、植樹する風習が定着したのだという。吉野山に桜が多いのはそのためだ。
蔵王堂は入母屋造檜皮葺きで、豊臣家の寄進により、天正20年(1592)に建立された。派手な装飾はないが、重厚で巨大な木造建築になっていて、荘厳さすら感じさせる。
内陣にあるはずの青黒い肌をした蔵王権現像は、秘仏のために開陳されていない。機会があれば、ぜひ一度、尊顔を拝してみたいものだ。
この蔵王堂の一帯は、鎌倉時代後期に、足利尊氏(1305-1358)の謀反により、吉野へ追われた後醍醐天皇(1288-1339)が、南朝を興した場所でもある。
蔵王堂裏手の仏舎利塔に向かって石階段を下っていくと、吉野朝宮址がある。
この付近には大小20にもおよぶ寺院があり、中でも最も広い実城寺が後醍醐天皇の行宮となっていた。
南朝方の拠点が、ここにあったのだ。
蔵王堂から門前町を500mほど奥千本へ向かうと、左手に吉水神社(よしみずじんじゃ)の看板が見えてくる。
ここは吉水院(きっすいいん)と呼ばれ、後醍醐天皇の皇居だった。
また、時代をさかのぼって、文治元年(1185)、源頼朝の追手から逃れた義経が静御前と弁慶を伴って、隠れ住んだのも、この吉水神社だった。
文禄3年(1594)には、豊臣秀吉が吉野で約5000人もの供ぞろえで盛大な花見の宴を開催。その本陣とした場所でもある。
この日、訪れたのは早朝だったために、9時からの拝観には早すぎた。重要文化財で、世界遺産にも登録された書院には、これらのエピソードを裏づけるようなお宝が展示されているという。
予定が迫っていたため、涙をのんで吉水神社を後にするしかなかった。
さて、吉水神社の脇道に入り、急勾配の山の斜面を徒歩で下っていく。つづら折りの道を15分ほど下ると、谷間の川沿いの道に、一軒の宿が見えてきた。
ここが温泉の目的地。吉野温泉元湯だ。
吉野のあたりには温泉がほとんどなく、この元湯が唯一、鉱泉が湧くことで知られている。
近鉄吉野線・吉野駅のある北の千本口からは、温泉谷の林道を通ってクルマで上がって来ることができる。
ただし、桜の景勝地だからといって、拡幅された道があるわけではなく、対面でクルマがすれ違うには困難な林道なのには驚いた。
奈良をドライブしているとわかるのだが、観光地化することを避けているかのような、毅然とした意志があるように感じられるのだ。
玄関を開けると、商人宿のようなたたずまいで、とても好感が持てる。
花は庭で摘んでいるのだろうか。生花が飾られているのもいい。
明治5年、先々代が小川旅館の名で、吉野温泉を開業した。
現在の大将と女将さんは5代目に当たる。
だが、この地に開湯されたのは、300年よりも前のこと。
吉野山は花と史跡の名所であり、大峯山修験道場としても有名で、修験信徒だけでなく、文人墨客など、いまとは比べ物にならないほど、多くの人々が来湯する場所であったらしい。
だが、吉野の隠し湯として、ひっそりと営業を続けざるを得なかったのには理由があった。
浴衣に着替え、風呂場に行くために木造の階段を下りると、壁に「由来記」が掲げてあった。
少し、抜粋してみよう。
<(前略)――多数の修験者(山法師)の中には、湯治に名を偽り頻りに来湯して酒色に耽り修験の戒律を乱す者が続出しましたので、吉野学頭職(当時の行政支配所)より、闕所(営業禁止・施設取り壊し)を命ぜられ其のまま廃絶の悲運に遭遇しました。――(中略)――其の後明治維新の変革により旧制度より解放の機を得て明治五年茲に「吉野温泉」の名称を以て再興したのでありますが、永年に渉り殊に宗教的禁令の風に馴染来た土地の人々の中には、諸政一新とは云え私方の営業再開を時期尚早と批し、偶々明治十八年失火全焼するや神罰覿面と判する声がありましたので常に世評を憚り湯治本位の秘かな営業を続けてまいりました事が一面地利的(ママ)条件の不便さと相俟って今尚秘湯の面影をとどめておる次第であります。>
女将によると、この書は3代目が書き残したもので、文献等は明治十八年の失火の際に焼失してしまったのだという。
ただ一軒とはいえ、この温泉谷に残り続けたのは、鉱泉の効能が優れていたためだろう。
建物が取り壊された後も、湖畔に湧く鉱泉は炭酸成分が豊富で、飲用、浴用にと汲みに来る者が絶えなかった。
胃腸、やけど、切り傷に効くと、湯が閉鎖されても名湯の評判だけは消えずに、口の端に残ったのだ。
現在、お風呂の設えは、男女別の内湯だけ。
脱衣所の造りは質素だが、床は温かく、ヒートショックへの細やかな心配りがある。
浴槽は畳2畳分ほどの大きさで、淡い褐色の湯がなみなみと湛えられていた。
浴槽の端から、湯がかけ流されている。
鉱泉にもかかわらず、100%の源泉かけ流しなのだ。
湯舟の角にある、源泉の注ぎ口の周りには、褐色の湯の花がびっしりとまとわりついている。
湯はもちろん加熱されている。
注ぎ口の下、浴槽の中に、湯の噴出孔があったが、循環された湯ではなかった。
ミネラル成分が高いため、パイプが固まってしまうので、循環はできないのだそうだ。
浴槽の右手にある蛇口からは、水ではなく、源泉が出るようになっている。
手ですくって、ひと口含んでみた。炭酸が舌を刺激して、鉄分の香りが鼻に抜けていく。
びっくりしたのは甘みだ。
女将さんの記憶では、昔、砂糖を入れて源泉を売っていたそうだが、薬効のあるラムネのような味がするかもしれない。
胃腸に効くというのも、説得力がある。
加熱することによって炭酸は抜けてしまうものだが、カルシウム、ナトリウムなどの成分と相まって、じつに素晴らしい泉質だった。
湯舟から見る窓の外には、日本庭園が広がっている。
贅沢ではないが、丁寧に手を加えられた庭園や生花などの心遣いに、いつか、時間の許す限りの、長逗留がしたくなった。
西名阪自動車道・郡山下ツ道JCTから京奈和自動車道(無料区間/国道24号線)へ。橿原市で国道169号線を南下。県道222号線で近鉄吉野線・吉野神宮駅方面へ。吉野神宮駅周辺では、線路を渡ってすぐに右折。県道37号線を2㎞ほど進み、吉野ロープウェイ近く看板に従って右折すると、約1㎞で到着する。約40㎞、1時間程度。
< PROFILE >
長津佳祐
ゴルフや温泉、クルーズ、スローライフを中心に編集・撮影・執筆を手がける。山と溪谷社より共著で『温泉遺産の旅 奇跡の湯 ぶくぶく自噴泉めぐり』を上梓。北海道から九州まで自噴泉の湯船を撮り下ろしで取材した、斬新な切り口の温泉本になっている。
長津佳祐
ゴルフや温泉、クルーズ、スローライフを中心に編集・撮影・執筆を手がける。山と溪谷社より共著で『温泉遺産の旅 奇跡の湯 ぶくぶく自噴泉めぐり』を上梓。北海道から九州まで自噴泉の湯船を撮り下ろしで取材した、斬新な切り口の温泉本になっている。