ご存じのとおり伊豆半島にはさまざまな温泉地が点在しています。その中でも修善寺温泉はもっとも歴史が深い温泉地だと伝わっています。多くの観光客を集める修善寺温泉の歴史を支えてきた修禅寺を訪ねます。
修善寺の中心、川の中に浮かぶ「独鈷の湯」は足湯として人気
独鈷の湯の周囲にはおみやげ店が並ぶ
独鈷の湯から近い修禅寺
修善寺温泉は桂川のほとりにある温泉地です。多くの温泉旅館やおみやげ店が並び、大勢の観光客が訪れる伊豆半島のなかでも人気の温泉地です。
温泉地としての歴史は古く、温泉の発見には弘法大師空海が関わっていると伝承されています。
807年のこと。具合の悪い父親を川の水で洗っている息子が桂川の河原にいました。そこに通りがかったのが弘法大師です。
「川の水では冷たいだろう」と、弘法大師は親子に話しかけ、手にした独鈷(とっこ)で川の中の岩を叩きました。すると、温泉が湧出しました。
親子は温泉によって身体を癒すことができました。
これが修善寺に伝わる温泉の起源です。
さて、修善寺にあるのが「福地山 修禅萬安禅寺」です。温泉が見つかったとされる807年に、弘法大師によって創建されたと伝わるお寺で、寺名を略した修禅寺からとって地名は修善寺となりました。
「桂谷」に位置していたために、「桂谷山寺」と呼ばれていた時期もありますが、鎌倉時代初期には修禅寺という名が定着しています。
そして、鎌倉幕府との深い関わりもありました。
鎌倉幕府の初代征夷大将軍・源頼朝(よりとも)の息子が2代将軍の源頼家(よりいえ)です。頼朝の死後、18歳で家督を相続し、鎌倉幕府の総大将となりましたが、母・北条政子による「合議制」の提案によってその地位は絶対のものではなくなります。
合議制成立の3年後に頼家が重病に。それを機に頼家を擁護する比企氏(ひきし)と、弟・実朝を担ぐ北条氏との間に紛争が起き、比企氏は滅亡してしまいます。
その後、頼家は将軍職をはく奪され、修禅寺に幽閉されることになります。
さらに悲劇は続きます。入浴中の頼家を刺客が襲い、21歳の若さで鎌倉幕府第2代将軍・頼家は命を落としてしまうのです。
修善寺には頼家の母で尼将軍と呼ばれた北条政子が、頼家の冥福を祈るために建てた「指月殿(しげつでん)」と、その横には頼家の墓が残っています。
副島の書による修禅寺の文字
山門左手にある百度石
観光客が驚く水屋
弘法大師によって807年に開創された修禅寺は、現在に至るまで修善寺温泉を見守り続けているお寺です。
弘法大師によって河原から湧いた山間の温泉は、それから1200年以上が経ち、多くの老舗温泉旅館を抱える温泉地になりました。
その変化を見守ってきた修禅寺も、実はいくつかの変化を経て現在に至っています。
弘法大師の建立から約470年間は真言宗のお寺として信仰を集めました。しかし、鎌倉時代になると中国からやってきた蘭溪道隆(らんけいどうりゅう)禅師によって臨済宗に改宗します。
さらに210年後には韮山城主・北条星雲が隆溪繁紹(りゅうけいはんじょう)禅師を住職として招いたことにより曹洞宗となり、今日に至っています。
独鈷の湯を目の前に見る虎溪橋のたもとにある石段を登れば修禅寺の山門です。私が訪れた時は日本人観光客に混じり、多くの外国人観光客も参拝に訪れていました。
山門をくぐれば、左手に「百度石」があります。百度参りの起点となる場所ですから、お願いごとを絶対に叶えたいのならぜひ!
正面は本堂になります。
「頼家の仮面」「平安期密教法具」「大日如来坐像」など、多くの寺宝がある修禅寺ですが、本堂の正面に掲げられているのは、「明治の三筆」と呼ばれ、書家であり政治家でもあった副島種臣による修禅寺の文字です。
幼少期の昭和天皇が滞在されたという旅館・菊屋に逗留していた副島が書いたもの。その迫力ある書に圧倒されました。
そして、山門の右手にあるのが「水屋」です。通常ならお参り前に身や心を清めるために立ち寄る水屋ですが、修禅寺の場合は正確には水屋とは呼べません。
そこは飲むこともできる、いかにも修善寺らしい水屋だったのです。
【おまけ動画 修禅寺の飲める水屋】
修禅寺境内にある弘法大師像
新垣結衣と星野源も入った?きれいな宙SORAの露天風呂
修善寺の温泉地と修禅寺を見てまわると、この地に弘法大師が残したものの大きさが実感できます。
すばらしい温泉地と、伊豆半島のほぼ中央部にあって鎌倉時代より歴史に深く関わった修禅寺。思わず境内にある弘法大師像に頭を下げてしまいました。
さて、お参りの後は多くの寄り道スポットが待っています。
まずは源頼家に所縁のある場所を散策します。その後は、独鈷の湯から続く小経を行くのがいいかもしれません。昔ながらのお茶処や、比較的新しいカフェが点在しています。さらに歩けば竹林の中となります。年齢に関係なく、カップルが目立つ場所で、それだけに雰囲気のある小路になっています。
ここで話は大きく変わります。
「永遠に、着かなければいいのに…」
と、伊豆箱根鉄道電車内、三島駅の手前で思ったのが森山みくり(新垣結衣)と、津崎平匡(星野 源)です。
これは昨年秋から冬にかけてTBS系で放映された火曜ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」のひとコマ。視聴率が右肩上がりだった話題のドラマでも、「胸がキュンとした」と大好評だったのが第6話でみくりと平匡が温泉旅行するシーンでの帰りの道中でした。
この時に、ふたりがでかけたのが修善寺温泉なのです。ちなみにロケで宿泊したのは「宙SORA/渡月荘金龍」という温泉ホテル。
素敵な浴槽を備えており、お参りの後に私も汗を流しました。なんでも、ドラマの影響でカップルのお客様が増えて、予約も順調とのこと。
歴史ある温泉地とそこにあるお寺でご利益を授けてもらい、話題のドラマのロケ地をカップルで訪れたとしたら、その後の都会での生活はどんなにパワフルになるのでしょう。
修善寺温泉の新たな一面を見た気分で帰路につきました。ドライブででかけたのですが、修善寺-三島間だけは電車に乗りたいと思ってしまうほど、あのドラマにはまっていた私なのでした。
< PROFILE >
遠藤 里佳子
旅行雑誌ライター。国内外の旅を多く取材。全都道府県を制覇(通過ではなく宿泊をしてカウント)したのは32歳のとき。ハワイやカナダ、オーストラリア、東南アジア、中国など太平洋圏に詳しい。
遠藤 里佳子
旅行雑誌ライター。国内外の旅を多く取材。全都道府県を制覇(通過ではなく宿泊をしてカウント)したのは32歳のとき。ハワイやカナダ、オーストラリア、東南アジア、中国など太平洋圏に詳しい。