東日本を大きな地震が襲い、尋常ではない津波災害の日からずいぶん歳月が経ちました。しかし、まだまだ復興したとはいえません。未だにその爪痕が残っています。被災地を巡るのは、旅とパワースポットが好きな私たちにできる小さなことかもしれません。
門を入った左手にある雲外天地の庭
伊達家ゆかりの史跡も
コケがとても美しい境内
宮城の戦国武将といえば伊達政宗です。その嫡孫(ちゃくそん)である光宗の霊廟として、1647年に三慧殿(さんけいでん)が建立されて開山したのが松島にある円通院(えんつういん)です。
2011年3月11日に発生した東日本大震災の際に、海に囲まれた日本を象徴する三大絶景「日本三景(松島、天橋立、宮島)」のひとつである松島も津波被害に遭いました。
円通院の目の前の林は、私が訪ねた時に工事の手が入っていました 。
円通院の門の横にある食堂・洗心庵の女将に聞くと、その林まで津波が押し寄せたそうです。それでも、松島の沖に浮かぶ島々が堤防の代わりとなって松島の被害はほかの地区よりは少なくすんだといいます。
私は松島を訪ねた時に、足を延ばして石巻、女川まで行きました。幹線道路をトラックがずいぶん行き交うのは、工事個所が多いからでしょう。
石巻には多くの新築の家、マンションが建っていました。徐々に復興が進んでいるとはいえ、元通りというわけにはいきません。
また、女川周辺は更地が目立ちました。震災前は家屋や商店が並んでいたところが更地になって、次の段階の工事を待っている様子でした。
あの大地震の時に、多くの人々が「私に何ができるのだろう」と、自問自答したと思います。私も寄付などを行いました。そして、まだまだ復興まで時間がかかる今、私に何ができるのでしょうか。
旅好きであり、パワースポット巡りが好きな私は被災地に行ってみようと思いました。
工事作業を手伝うことはできませんが、旅人として松島などを訪れ、旅人として現地で消費する。小さな行いですが、これもまた個人でできる支援だと思ったのです。
訪れた円通院では、私が知らなかった歴史物語に触れることができました。
観光船が発着する松島の観光桟橋から細い道を入ったところに円通院があります。300円の拝観料を支払って門をくぐると、そこは緑色の別世界でした。
最初に現れるのは「雲外天地の庭」です。天の庭は松島湾に実在する七福神の島を表しているそうです。
観光船乗り場のにぎわいとは異なる、落ち着いた空間がありました。
森の中に佇む三慧殿(国指定重要文化財)
バラの花が描かれた厨子
林の中には瞑想に相応しい場所が
雲外天地の庭を過ぎると境内はより一層深い緑に包まれます。
目を引くのは美しく生えそろったコケです。林の下を緑の絨毯(じゅうたん)が続きます。
やがて、段の先に三慧殿が見えました。国指定の重要文化財であり、円通院建立のきっかけになった光宗の霊廟ですが、思いの外大きくありません。
前面の扉は開放されており、ガラス越しにではありますが、宮殿型厨子(ずし)の中に馬にまたがる光宗の像がありました。
興味深いのは厨子に描かれた模様です。
ローマ帝国以来のローマの象徴であるバラの花、フィレンツェの花である水仙、さらにダイヤ模様やクローバー模様、ハート模様、スペード模様が見られるのです。
さて、これからが私がここに来るまで知らなかった歴史上の出来事です。
伊達政宗は支倉常長(はせくらつねなが)を使節長とした慶長遣欧使節(けいちょうけんおうしせつ)をヨーロッパに送り出しました。メキシコにあったスペインの施設と自由に交易をするためには、ローマ法王、スペイン国王と交渉する必要がありました。
政宗は太平洋を横断するための大型西洋帆船を造船しました。
そして、1613年9月に使節団は出航します。まずは太平洋を横断してメキシコのアカプルコを目指し、その後は陸路でメキシコを横断。メキシコ東海岸からは、スペイン艦隊の船で大西洋を渡りスペイン、ローマと回りました。
苦労して二つの大海を渡った使節団は、欧州の地でそれなりの成果をあげます。そして、帰国したのが1620年のことでした。約7年に渡る旅になりました。
結果的には徳川幕府の鎖国政策によって、伊達藩はスペインとの交易をできませんでしたが、一つの藩が直接スペインと交易を行おうという、なんともスケールの大きな企画でした。
なぜ、伊達政宗はこの案を実行したのでしょうか。その背景を私は松島で初めて知りました。
東日本大地震から遡ること400年。1611年に慶長三陸地震が起こり、伊達藩は大きな被害を受けます。津波被害も甚大なものだったといいます。
大震災からわずか2週間後、伊達政宗は慶長遣欧使節の派遣のアイデアを、家老を集めて発表したそうです。
近年の研究では、慶長遣欧使節は復興のために考えられたものであるとされています。
納涼の家を移築した本堂
縁結び観音は参拝者のお願いがいっぱい
厨子にバラや水仙があるわけは、支倉常長を長とする使節がイタリアやスペインを訪ね、そこで見たものを記録あるいは物品として持ち帰ったからです。
厨子にある花は、その可憐な姿が使節の脳裏に焼き付いていたのかもしれませんし、絵画を持ち帰ったかもしれません。
また、スペードやハートのマークは、7年もの滞在中にカードゲームを覚えた証しかもしれません。
このあたりははっきりしないようですが、いずれにせよ厨子にこれらの模様が描かれているのは事実です。
厨子を鑑賞してから境内を散策しました。林から一段降りたところにお寺では珍しいバラ園がありました。バラは使節団ゆかりの花です。
円通院にも使節団で始まった歴史が根付いていました。
大悲亭は本堂の別称です。元々は光宗の江戸納涼の亭でした。光宗の没後に移築されました。
本堂内には何人かの観光客がいました。なにやら作業をしています。1000円より参加できる「数珠作り体験」の参加者たちで、世界にひとつしかない数珠を作っていました。
私は数珠体験よりも“グルメ体験”を優先させました。門のそばにある「縁結び観音」をお参りしてから、洗心庵で名物のアナゴ丼をいただきました。
冬になるとカキ丼の時期になります。どちらにせよ、松島のおいしいものはお参り後のうれしいご褒美です。
コケ生す林からバラ園へ
しゅっしゅっという音は、境内を清掃する方のホウキの音です
< PROFILE >
遠藤 里佳子
旅行雑誌ライター。国内外の旅を多く取材。全都道府県を制覇(通過ではなく宿泊をしてカウント)したのは32歳のとき。ハワイやカナダ、オーストラリア、東南アジア、中国など太平洋圏に詳しい。
遠藤 里佳子
旅行雑誌ライター。国内外の旅を多く取材。全都道府県を制覇(通過ではなく宿泊をしてカウント)したのは32歳のとき。ハワイやカナダ、オーストラリア、東南アジア、中国など太平洋圏に詳しい。