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豊臣軍の石田三成をして落とせなかった「忍城」や、徳川軍を撤退させた真田家の上田城城跡に行くと、「落ちないお守り」などが人気になっています。しかし、このふたつの城も当時の天守は現存していません。そこで、現存する天守におでかけし、パワーを分けてもらいましょう!

【現存する城1】彦根城(滋賀県)築城1603年:井伊直継


【現存する城2】弘前城(青森県)築城1611年:津軽信牧


【現存する城3】松本城(長野県)築城1504年:島立貞永


全国にはたくさんの城跡があります。

たとえば、琵琶湖の東側は広大で日の当たりのいい農耕地があり、飲める水をたたえる琵琶湖があり、丘のような小山がいくつも点在し、京都や大阪にも近いために武将たちが城を築くのにもってこいの環境でした。

城の種類は大きく分ければ3種類になります。山の上に建てた“山城”、平地を望む丘に建てられた“平山城”。そして、河川に面した水城や周囲を塀や堀で囲った“平城”があります。

それぞれに特徴があり、山城は難攻不落の城が簡単にできる反面、住むには少々不便です。備中松山城(岡山県)などがその代表でしょう。ただし、戦国時代より前は山城が主流でした。

平山城は山城のような攻めにくい城でありながら、平城のような利便性もあります。琵琶湖の東側にある城跡のほとんどはこのタイプです。織田信長が築いた安土城、井伊家の彦根城(共に滋賀県)がそうです。戦国中期以降は平山城が主になります。

ちなみに安土城の城下は琵琶湖と続いており、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)がいる長浜城までは舟で行き来できたそうです。

平城は海や湖、河川を利用した水運を使える利点があり、兵の収容力も高いため、江戸時代以降の主流になりました。江戸城、名古屋城、大阪城などが、まさにこのタイプです。

ところで、城の中心といえば天守ですが、権力の“象徴”ともいえる天守を最初に造ったのは織田信長だという説が強いようです。

ただし、豪華絢爛を誇った安土城は1579年に完成するものの、その後の落雷により一部を焼失、明智光秀による謀反を経て織田家が力を失うと、1585年にわずか6年で廃城となっています。

現在、城跡には「大手道」と呼ばれる幅の広い天守に続く石段が残り、壮大な城の面影を感じさせます。両側には羽柴秀吉、徳川家康、前田利家などの邸宅跡地がありました。

全国各地にあった城ですが、さまざまな理由で現存している天守は多くありません。わずか12カ所に過ぎないのです。

豊臣軍の石田三成をして落とせなかった「忍城」や、徳川軍を撤退させた真田家の上田城ですら、江戸時代の天守は残っていません。忍城の天守は復元されたものであり、上田城は門と櫓は残るものの天守や本丸はありません。

それでも、城跡に行くと、戦国時代に落ちなかった城として、「落ちないお守り」などが大人気。パワーの源になっています。

ならば、現存する天守12カ所はどうでしょう。もっとパワーがあるのではありませんか?

【現存する城4】犬山城(愛知県)築城1537年:織田信康


【現存する城5】丸岡城(福井県)築城1576年:柴田勝豊


【現存する城6】姫路城(兵庫県)築城1609年:池田輝政


なぜ、城は消えてしまったのでしょう。

まずは「落城」があげられます。戦国時代はその名の通り、領地を争う武将と武将の戦いの時代です。当然、敗れた武将の城は破壊され、あるいは燃やされました。城は再建されることなく姿を消しました。

次に「廃城」も大きな理由の一つです。戦略的な価値がなくなっての廃城や、新しい城を造ったことによる廃城も珍しくありません。

三つ目に「徳川幕府による一国一城令」があります。参勤交代などを発令し、全国に目を光らせた幕府は、各国に一城制を強要しました。このため、各地の大名は藩内の城を一つだけにする必要に迫られ、残りの城を廃城にしました。

以上が江戸時代までに城が消失した主な理由です。

明治維新以降になると、大名がいなくなります。

「廃藩置県」制度が明治4年に発令され、藩が廃止になって中央管下の政治に移行されます。殿様がいなくなれば、城の必要性がなくなります。

明治新政府によって売却された城も少なくありません。

また、戌辰戦争での落城など、明治維新以降の混乱も城が消える理由になりました。

大正、昭和と時代が流れても、火災、空襲、落雷、地震などにより城は消えています。

こうして現存する天守はわずかに12だけになりました。もちろん、完成時からまったく手が加わっていない天守はありません。

修復などを繰り返して創建当時の姿を維持している天守(彦根城、姫路城)。

天守在籍時に再建や改修がなされているものの、それがそのまま残っている城(松本城、犬山城、松江城、高知城など)。

明治以降に一部を撤去または損失したものの、天守のみが残った城(弘前城、備中松山城、松山城、丸亀城)。

遺材が残っており、組み直して修復した城(丸岡城)。

以上のように、現存のかたちはまちまちですが、殿様がいた当時の姿を残していることには変わりありません。

【現存する城7】松江城(島根県)築城1611年:堀尾吉晴


【現存する城8】備中松山城(岡山県)築城1240年:秋庭重信


【現存する城9】高知城(高知県)築城1601年:山内一豊

※他に丸亀城(香川県)、伊予松山城、宇和島城(ともに愛媛県)があります。


これまでにも取材でさまざまなお城を訪ねました。

大地震で大きな被害に遭った熊本城は印象深いお城でした。まずは石垣の大きさに驚かされました。城造りに定評があった加藤清正が、中世の城郭を改築して建て、江戸時代以降は熊本藩細川家の居城になった城です。

しかし、西南戦争の直前に大小天守や本丸などが消失しました。それでも、1960年に天守を再建、本丸も後に再建されています。

天守からの眺めは素晴らしく、少しだけ殿様になった気分を味わいました。

しかし、熊本城は実際に清正や細川の殿様が立った建物ではありません。そのなかで、現存する天守は本当の殿様が立った建物なのです。

つい先日、彦根城を訪ねました。城跡の多い琵琶湖の東側に位置します。松本城、犬山城、姫路城、松江城とともに、天守が国宝指定されたお城の一つでもあります。

「徳川四天王」のひとりに数えられた井伊直政は、関ヶ原の合戦での武功により石田三成の居城だった佐和山城に移ります。ところが直政はこの城を好みませんでした。新しい城の築城を計画していましたが、関ヶ原のキズが癒えずに死去。家督を継いだ直継は幼少でしたが、家老が直政の遺志を尊重して徳川家康に相談、彦根城の築城を開始します。

彦根の街を散策すると、井伊家の影響が今も大きいことを実感できます。

豪徳寺(東京)のネコが招くことによって落雷から守られたという伝説があることから、招き猫をモデルにした「ひこにゃん」が、町中にあふれています。商店街でも駅でも、ひこにゃんを見かけます。

お城の周囲の遊歩道では学生たちがランニングを行い、お堀ではボート競技の練習をする選手の姿が見えました。

お城の西側には小さな港があり、その先に琵琶湖が悠々と広がっています。

これらの風景がすべて天守から見られるのです。彦根に暮らす人々にとって、お城はとても身近な存在でした。今なお、彦根の街並みはお城に守られているのでした。

それは、私が最近取材にでかけた松山でも、高知でも丸亀でも代わりありません。現存するお城の下で、街が動いているという雰囲気が感じられるのです。

現存するお城のパワーは計り知れません。殿様たちが築き上げた天守が残る街へ。こんなおでかけも、きっとパワーの源になるでしょう。

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【おでかけのヒント】

トリップアドバイザー 「現存12天守」
https://tg.tripadvisor.jp/news/advice/12existence_castles/
< PROFILE >
遠藤 里佳子
旅行雑誌ライター。国内外の旅を多く取材。全都道府県を制覇(通過ではなく宿泊をしてカウント)したのは32歳のとき。ハワイやカナダ、オーストラリア、東南アジア、中国など太平洋圏に詳しい。
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