全国には弘法大師や慈覚大師が発見したという言い伝えのある古湯がたくさんあります。備前・美作にある湯郷温泉もそのひとつ。いにしえの上流貴族が樽で都へ運ばせた名湯はいまも健在です。 |
湯郷鷺温泉館 所在地:岡山県美作市湯郷595-1 泉質:カルシウム・ナトリウム-塩化物温泉(低張性アルカリ性温泉) 源泉:40.5度 営業時間:8:00~22:00 定休日:毎月第2水曜(祝日の場合は翌日休み・8月は第1水曜) 料金:大人600円、3歳~小学生400円 TEL:0868-72-0279 女性露天風呂(紅梅の湯)。ひとりでゆったりと寝そべって入れる寝湯もある
男性露天風呂(白梅の湯)。石畳の露天風呂で星空が美しい
セミスウィートルーム牡丹。このほか露天風呂つき客室もいくつか種類がある
料理はセパレートされた食事処で瀬戸内海、日本海、里山の旬が味わえる
なかでも有名なところは行基(668-749)、空海(弘法大師/774-835)、円仁(慈覚大師/794-864)、少し時を下って一遍上人(1239-1289)あたりだろうか。 ゆかりの深い主な温泉名を挙げれば、 行基 ―― 有馬温泉(兵庫)、野沢温泉(長野) 空海 ―― 修善寺温泉(静岡)、関・燕温泉(新潟) 円仁 ―― 湯村温泉(兵庫)、湯郷温泉(岡山) 一遍 ―― 別府・鉄輪温泉(大分)、道後温泉(愛媛) と、有名どころが含まれているのがわかる。 行基は畿内を中心に仏教の布教活動に勤め、聖武天皇(701-756)により奈良・東大寺の大仏建立の実質的な責任者として招聘されている。 全国各地に布教するなかで、橋や用水路の治水工事に貢献してきた。 開発の過程や治水の知識をもとに温泉を発見したとしても不思議ではない。 空海や円仁は、奈良時代から平安時代に移りゆく過程で、唐で仏教を学び、帰国後、各地に広め歩いた。 空海は最澄(767-822)から資金援助を受けて唐に渡ったものの、真言密教に傾倒し、真言宗の開祖となった。 最澄の天台宗確立を継承したのは円仁だ。 最澄の忠実な弟子として、円仁は同時代に生きる空海をライバル視していたのは間違いないだろう。 空海、円仁は布教活動だけでなく、温泉開拓という面でも競い合っていた可能性はある。 私にとって円仁のほうに親近感があるのは、故郷山形にある立石寺、俗に言う山寺や、何度か訪れたことのある宮城・松島の瑞巌寺の開祖でもあったからだ。この周辺の温泉地でも、いくつか円仁の開湯伝説が伝えられてきた。 東京・目黒不動尊の龍泉寺や浅草・浅草寺も円仁ゆかりの寺として知られている。 今回取り上げる岡山・美作市(みまさかし)にある湯郷温泉も、円仁発見による温泉地として名高い。 美作地域は2013年、美作国誕生から1300年という節目の年を迎える。 来年は「美作国建国1300年」という記念事業が展開される。 http://www.mimasaka1300.org/index.html 美作国誕生は、ヤマト政権の基盤がようやく確立しようとする時期に当たる。 現在の岡山県から広島県東部には、古代日本の有力な地方国家、吉備国があった。 吉備国は製鉄の技術をもつ吉備氏の勢力範囲で、王権の基盤を固めて中央集権国家をつくろうとするヤマト政権にとっては抑えておきたい存在。 そこで持統天皇3年(689)に「飛鳥浄御原令」を発布し、吉備国を備前国、備中国、備後国に分割した。 さらに、和銅6年(713)には備前国から製鉄の盛んな美作国を分立。“鉄”はヤマト政権の管轄下に置かれるようになった。 美作国は備前国の北部6郡にあたり、平安時代初期に編纂された『続日本紀』に美作国分割についての記述が残されている。 美作国は、日本のなりたちにも深くかかわる歴史ある地域なのだ。 美作という呼称は現在も生き続けており、「美作三湯」という名湯が広く知られている。 湯郷温泉は、湯原温泉、奥津温泉と並び、そのひとつに数えられるいで湯の里だ。 岡山県北東部に位置し、温泉街は吉井川に流れ込む蛇行した吉野川の北岸に拓けている。 歴史はほぼ建国と同じ時期で、非常に古い。 美作観光連盟がまとめたパンフレットによると、「1200年ほど前の平安時代、傷ついた一羽の白鷺に導かれた円仁がこの温泉を見つけた」とある。 『日本鉱泉誌』(明治18年・内務省衛生局編纂)によると、発見は貞観2年(860)。 「僧円仁、仏の夢告げによってこの泉を発見し、ついに浴場を創設し、医王の祠を泉傍らに建営すと言う」とある(注:原文は旧漢字とカナの混合表記/医王とは、医者が患者を治すように、仏法を説いて人の悩みを治すことをいう)。 おもしろいのは泉源についての記述だ。 「村の中央に浴室一所あり。これを割りて四区となし、毎区一槽を設く。泉はその槽底の石間より湧出す」 村のどまんなかにこんこんと地面から湧き出る温泉があったことがわかる。 日帰り温泉施設の「湯郷鷺温泉館」で話をうかがったところ、その泉源は現在の地図でいう塩湯社やポケットパーク(足湯)に近い、第3、第4駐車場のあたりにあったのではないかという。 塩湯社の案内板には、「かつては鷺湯社と称して泉源近くに祀られ、奈良時代には貢物として湯が都に献上されていた」とある。 『日本鉱泉誌』の記録でも、「源泉を汲み上げて年間2400樽を各地に輸送。大阪で大いに名声を得た」という趣旨の表記があり、温泉の評判は上流階級の人々の間で広く喧伝されていたのだろう。 珍重されたのは泉質のよさにある。 美作周辺の温泉は、無色透明のアルカリ性単純温泉が多いのだが、湯郷温泉はほんのりとした塩味と硫化水素の香りがする。 無色透明、弱アルカリ性のナトリウム・カルシウム―塩化物温泉で、肌にやさしく、それでいて鼻孔をくすぐる香りからも薬効を体感できるのがこの泉質の特徴だ。 先ほど触れた「湯郷鷺温泉館」は湯郷温泉を象徴する施設で、ここが管理する3本の源泉をすべての旅館やホテルに供給している。 個々に掘削するのではなく、地域ぐるみで温泉を守ろうという発想で運営されてきた。 この施設では、大浴場や露天風呂はもちろん、檜風呂、ジェットバス、家族風呂、サウナといったさまざまな浴槽や入浴法が楽しめる。<静>と<動>という趣きの異なる浴槽が男女で分かれており、毎週日曜日に男女の利用が入れ替えられる。改めて訪れても入れ替わっていれば前回の印象とはまったく異なるので、何度か足を運んでみたくなる。 湯郷温泉には18の個性的な宿泊施設があるが、そのなかのひとつ、「季譜の里」は心地よい安らぎを与えてくれるユニークな和モダンの宿だ。 玄関で靴を脱いだら、館内はそのまま素足で過ごすことになる。 なぜなら館内はすべて畳敷きだから。 その数、1245畳。 廊下にまでびっしりと敷き詰められた畳の眺めは圧巻だ。 これまで多くの宿に宿泊してきたが、こうしたスタイルは初めてだ。 個人的にはあまりスリッパが好きではなく、かといってホテルのように靴を履いたままではリラックスできない。 履物を脱ぐという行為が、これほどまでに安らぎを与えてくれるとは思わなかった。外と内との境界を隔てるものは、空間ではなく行為にあることを教えてくれる。 素足万歳! もし自分が旧家を買い取って、リノベーションしたら、廊下にまで畳を敷き詰めるという発想が湧いてくるだろうか。 人を受け入れる側におもてなしの心がないと、なかなかこういう着想には行きつかないかもしれない。 館内に入った時のお香の匂い、館内のいたるところに活けられた生花、清掃の行き届いた部屋……。 ここで過ごす時間が長くなるほど、館内の畳敷きは人をもてなす心のひとつの表層に過ぎないことを、改めて知ることになるだろう。 |
美作市には歴史や自然、文化をめぐる興味深い観光地がたくさんあるが、ちょっと気になる、マニアが楽しめそうなスポットを紹介しよう。
●旧津山扇形機関車庫
津山駅から徒歩1分のところにある近代化産業遺産。中央に機関車の車両を方向転換する転車台があり、扇形機関車庫は奥行き22.1m、17線。京都「梅小路」に次ぐ、日本で2万目の規模を誇る。一般公開日は4月~11月までの第2、第4土日を中心に、各日80名の予約制。TEL 086-225-1179(JR西日本岡山支社営業課)
●イナバ化粧品店
B’zの稲葉浩志のご実家。特設ブースがあり、ビデオ上映、記念撮影もできる。 バッグやうちわなど、オリジナル商品も豊富。
津山市川崎78-17 水曜日定休 営業時間10:00~18:00
http://www.momotown.net/beauty_health/inaba/inakesyo/
●岡山湯郷Belle
なでしこジャパンキャプテンの宮間あや、ゴールキーパー福元美穂を擁するなでしこリーグのホームグラウンドが美作市総合運動公園。試合日程をチェックすれば選手に会えるかも。
http://www.yunogo-belle.com/
< PROFILE >
長津佳祐
観光やレジャー、スローライフを中心に編集・撮影・執筆を手がける。ブログ「デュアルライフプレス」
http://blog.duallifepress.com/もよろしく。
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