美作三湯として知られる湯原温泉の近くに、浴槽の湯底の巨岩から自噴する一軒宿がある。清冽なアルカリ性単純温泉はフレッシュそのもので、源泉で育てた名物のすっぽん鍋は臭みもなく好評だ。
所在地:岡山県真庭市本庄712
TEL:0867-62-2261
●泉質:アルカリ性単純温泉
●源泉温度:34.2度
●湧出量:30.5?/分
●pH:9.1
●日帰り入浴:10:00~16:00
●日帰り料金:大人500円、小学生300円
岡山県真庭市には、奥津、湯郷と並び美作三湯として人気の高い湯原温泉がある。
湯原ダムの下流の旭川沿いに巨大な露天風呂が広がり、自噴の源泉かけ流しに無料で入浴できる、なんとも豪儀なすばらしい温泉地だ。
湯原温泉についてはまた別の機会に譲ることにして、今回はそこからクルマで10分ほどの一軒宿、郷緑温泉について触れてみたい。
米子自動車道・湯原ICを下り、国道313号美作街道のT字路を右折すると、湯原温泉方面へと向かうことになる。この一帯の温泉地は高速道路からのアクセスが非常によく、自噴する温泉がいくつも点在している。
自噴泉とは、機械による掘削をせずに、自然に湧き出ている温泉のことだ。
13年に共著で出版した『温泉遺産の旅 奇跡の湯 ぶくぶく自噴泉めぐり』の取材で、湯底からぶくぶくと自噴する浴槽だけを探して、全国をくまなくまわって探し歩いた。
その際に見つけたのが、湯原温泉をはじめ、この一帯にいくつか現存している「ぶくぶく自噴泉」だった。郷緑温泉はそのひとつだ。
湯原ICから県道55号線に入ってすぐ。道路に沿うように流れる鉄山川の向こうに、城壁のような、豪勢な石垣が積まれている。
これまでいくつもの温泉宿を訪れたが、これほど温泉宿らしからぬ石垣のある建物は見たことがない。石垣に近づくとやはりその壁は高く、玄関に続くであろう立派な石段が見えてきた。
お城並みの石壁に沿って階段を上がると、ようやく建物全体が見えてきた。
外観はごくふつうの宿に思える。
しばしとまどいながら、意を決して格子戸に手をかけた。
ぎょっとした。
玄関の中にイノシシ、シカ、キジの剥製が置いてある。どれもけっこう大きい。その迫力に少しあとずさりしそうになった。
ほっとしたのは、人当たりのいいご主人が顔を出したからだ。
こちらの温泉は一軒宿。
建物の裏山の一画から自然にお湯が湧き出し、その源泉のひとつを利用して湯船がしつらえてある。
玄関を入ってすぐ左手に脱衣所があり、男女の別はない。
混浴というわけでもなく、ひとつのグループごとに30分ずつの入れ替え制を取っているとご主人は語る。
浴室に入ってその理由がわかった。
服を脱いで浴室に入るとふたつの浴槽が並んでいるのだが、奥は源泉が湧き出す「ぶくぶく自噴泉」で、温度がややぬるめ。手前の小さな浴槽は加熱してあり、上がり湯として利用する。
自噴する浴槽がひとつしかないために男女に分けることができず、全7室の宿泊客に対応するには、グループごとに時間を区切ったほうがいいという配慮なのだ。
脱衣所の入口に「入浴中」と書かれた木札がぶら下げてあり、先に入ったグループがこれをひっくり返すという仕組みになっている。
さて、肝心のお風呂だが、これがすごく気持ちいい。
無色透明、無味無臭のアルカリ性単純温泉で、ぬるめだがピュアでフレッシュ。肌触りがさらっとして清潔感にあふれている。
湯底はごつごつした巨岩で、隙間から湯が湧き出し、時折ぼこぼこと気泡が上がってくる。
壁に、郷緑温泉の縁起が書いてあった。
カタカナ交じりだが、句読点を入れて読みやすく書き換えるとこうなる。
<郷緑温泉歴史/当温泉は今を去ることおよそ二百有余年前、いまだ本庄に温泉の開けず、その頃温泉はすべて薬師如来の御恵なるがごとく称えおりたる時、本庄村の某農夫これを発見し、これ薬師如来の御恵ならんと。それ以来諸病症所皮膚病等に患する者、この温泉を患部に注ぐに、しばらくにして全癒せざるはなし。寛永二年、備後国の住金十郎と称する人、当温泉を掘り、諸人に入浴するの便を与えたり。その後、明治十七年、初めて温泉の許可を得て、郷六と字名を付け、後郷緑温泉と名付けたり>(かな、句読点筆者による)
寛永二年(1625)に住金十郎が掘削し、明治一七年(1884)に許可を得て「郷六」という屋号で営業を始めたという。じつに400年歴史のある温泉だった。
「この建物は、明治初期に建てられたものを、父が譲り受けたんですわ」
現在の湯守で当主の張眞務さんはそう語る。
香川県高松市で旅館業を営む張眞さんの父が、ここを買い取り、経営を始めたのは昭和三一年のこと。
温泉の評判を聞いた父が、療養で一週間ほど郷緑に滞在した際、この温泉をすっかり気に入ってしまった。すると変わり者で評判だった宿の主人が「気に入ったら売ったるで」と意気投合。
父は即座に購入することを決め、三一年、高松からこの地へ引っ越してきた。
張眞さんはこのとき中学2年。当時は周りは田圃だらけだったという。
明治初期にこの建物を建てたのは矢吹民蔵という人物で、宿を譲った主人の父に当たる。
この民蔵は近隣の人々に声をかけ、「建物を作るのを手伝ってくれれば、風呂は一生タダや」という触れ込みで人を募った。
この石垣もまた、村人の力によって創建されたものだったということか。なんとも豪儀な人物がいたものだ。
ぶくぶく自噴泉以外の、郷録館の名物といえばすっぽん鍋。清冽な温泉水で養殖したすっぽんは、臭みもなく食べやすい。
春は山菜と川魚、夏は鮎、秋はすっぽん、冬はイノシシのすき焼きと、四季の料理込みで宿泊代は1泊2食1万円から。
野趣あふれる料理と温泉の組み合わせは、まさにお値打ちものだ。
長津佳祐
ゴルフや温泉、クルーズ、スローライフを中心に編集・撮影・執筆を手がける。山と溪谷社より共著で『温泉遺産の旅 奇跡の湯 ぶくぶく自噴泉めぐり』を上梓。北海道から九州まで自噴泉の湯船を撮り下ろしで取材した、斬新な切り口の温泉本になっている。
ブログ「デュアルライフプレス」http://blog.duallifepress.com/