鉛温泉の藤三旅館は、昭和初期に建てられた木造三階建ての本館と自噴する天然岩風呂をもつ歴史ある一軒宿。豊沢川の清流沿いにあり、宮沢賢治の小説にも登場するほど、郷土自慢の名湯だ。
所在地:岩手県花巻市鉛字中平75-1
TEL:0198-25-2311
●泉質(白猿の湯):単純温泉(低張性弱アルカリ性温泉)
●源泉温度:39度
●湧出量:不明
●pH:7.8
●日帰り入浴::7:00~:21:00(20:00受付終了)
●入浴料:大浴場/大人700円、子ども500円
宮沢賢治の作品に、「なめとこ山の熊」という童話がある。
里では職に就くことのできない主人公の小十郎は、職業猟師として熊を獲ることを生業にして生きている。
一部を抜粋してみよう。
<中山街道はこのごろは誰も歩かないから蕗やいたどりがいっぱいに生えたり牛が遁げて登らないように柵をみちにたてたりしているけれどもそこをがさがさ三里ばかり行くと向うの方で風が山の頂を通っているような音がする。気をつけてそっちを見ると何だかわけのわからない白い細長いものが山をうごいて落ちてけむりを立てているのがわかる。それがなめとこ山の大空滝だ。そして昔はそのへんには熊がごちゃごちゃ居たそうだ。ほんとうはなめとこ山も熊の胆も私は自分で見たのではない。人から聞いたり考えたりしたことばかりだ。間ちがっているかもしれないけれども私はそう思うのだ。とにかくなめとこ山の熊の胆は名高いものになっている。
腹の痛いのにもきけば傷もなおる。鉛の湯の入口になめとこ山の熊の胆ありという昔からの看板もかかっている。だからもう熊はなめとこ山で赤い舌をべろべろ吐いて谷をわたったり熊の子どもらがすもうをとっておしまいぽかぽか撲りあったりしていることはたしかだ。熊捕りの名人の淵沢小十郎がそれを片っぱしから捕ったのだ。>
(『なめとこ山の熊』宮沢賢治)
熊撃ちの名人ではあるものの、小十郎は熊に対してはいつも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
熊の言葉すら理解できる気がして、子連れの母熊を見つけたときなど、その会話を聞いて撃つことができず、こっそりと身を引くこともあった。
山では気高く振る舞っている小十郎も、町の金物屋へ売りに行くときはみじめになる。なめとこ山の熊は革と肝という商品に変わってしまい、ずるがしこい店の主人に不当に安い値段で買い叩かれてしまうのだ。
菜食主義であった賢治は、レジャーとしての狩猟には嫌悪感を持っていたと考えられている。だが、職業猟師に対しては、同じ自然のなかに共生する一員として描き、温かなまなざしを向けるのだ。
そして、金物屋の主人は資本主義経済の象徴だ。
命の価値や生きてきた物語とは無関係に、熊は商品となり、社会的弱者から搾取するための手段として扱われる。
この童話を読むと、鼻の奥がきゅうんとして切なくなってしまう。
一連の賢治作品のなかでも、私が好きな小編のひとつだ。
この作品はもちろんフィクションで、実際に“なめとこ山”という場所があるわけではない。だが、賢治が生まれ育った岩手の自然が断片的に心象風景として登場し、実在する地名も散りばめられている。
明治初期の「岩手県管轄地誌」には「那米床山」という記載があり、小岩井農場の南に実在する山であることがわかった。
また、賢治が盛岡高等農林学校研究生の時代に、マタギとともに花巻市西方の山地を土性調査していて、その経験が主人公の造形にも影響を与えているのだろう。
先ほど抜粋した部分にも、<鉛の湯の入口になめとこ山の熊の胆ありという昔からの看板もかかっている>という一節がある。
“鉛の湯”というのはあまり馴染みのない言葉だが、「鉛温泉」という地名は、花巻温泉郷にいまも実在する。
木造三階建て、総けやき造りの堂々たる本館のたたずまい。
藤三旅館は、鉛温泉唯一の一軒宿だ。
藤三旅館のパンフレットに、宿の縁起が記述されている。
<今を去ること、およそ六百年の昔。ここの温泉主である藤井家の遠祖が高倉山麓で木こりをしている際に、岩窟から出てきた一匹の白猿が、桂の木の根元から湧き出る泉で手足の傷を癒しているのをみた。これが温泉の湧出であることを知り、一族が天然風呂として用いるようになったとされる。
以来「白猿の湯」(俗名桂の湯)と呼ばれるようになった。>
六百年前といえば、室町時代にあたる。
嘉吉三年(1443)に仮小屋が建てられ、天然風呂として利用されるようになったのが鉛温泉の発祥という。
そして、この宿で最も注目すべきは、自噴する天然岩風呂がいまも残されており、自噴泉としては日本一の深さを誇る浴槽になっているということだ。
藤三旅館は豊沢川の流れに沿って建物が配されており、別館、本館から湯治棟、さらに奥には2015年1月に完成した全14室のラグジュアリースイート「十三月」が建っている。
この本館と湯治棟を結ぶ廊下の途中に、名物の「白猿の湯」がある。
「白猿の湯」の格子の引き戸を開けると、ぎょっとせずにはいられない。
いきなり目の前が下りの階段になっていて、眼下に大きな内湯が出現するからだ。
湯の高さまで、約4mはあるだろうか。浴槽から見上げると地階から三階までに相当する。
小判型の大きな浴槽のそばに3、4人は入れそうな小さな円形の浴槽がひとつ。脱衣所は階段を降り切った傍らにふたつ用意されている。
それにしてもなんという透明な湯だろう。
湯底まできれいに透き通って見える。
天然の一枚岩をくりぬき、凹凸が危険なので底は一部セメントで固められている。
湯底から絶え間なく湯が湧き出していて、勢いを押さえるために岩でふさいでいるのだ。
湯に入ってさらに驚いた。
深さが平均でも125㎝あり、一番深い所では150㎝にもなる。比較的背の高い私でも、立ったまま胸まで浸かってしまったほどだ。
立湯というスタイルは珍しく、湯量が豊富でなければできない。
浅い浴槽に比べて全身に水圧がかかるため、循環器系を整え、血行促進にも効果があるといわれている。
それしても、この湯の心地いいこと。
清冽で温かな湧水に身を浸しているようだ。
さらっとしていて匂いはほとんどなく、口に含むとかすかな甘味、旨味すら感じる。
この湯を遺していこうという、宿の心意気まで感じられる素晴らしい浴槽だった。
この「白猿の湯」は混浴で、水着の着用はできない。
だが、女性専用時間帯が日に3回設けられているので、安心して入浴することができる。
時の移ろいを感じる建物の趣きと湯の清冽さ。
このふたつを体験するだけでも価値のある、賢治の愛した岩手の名湯だ。
東北自動車道・花巻南ICより県道12号線で約15㎞、20分。花巻方面からは県道沿いからの入口に大きな看板があってわかりやすい。道路から見て左手が旅館部、右手が湯治部。新しくできた「十三月」玄関は湯治部よりさらに右手にある。
長津佳祐
ゴルフや温泉、クルーズ、スローライフを中心に編集・撮影・執筆を手がける。山と溪谷社より共著で『温泉遺産の旅 奇跡の湯 ぶくぶく自噴泉めぐり』を上梓。北海道から九州まで自噴泉の湯船を撮り下ろしで取材した、斬新な切り口の温泉本になっている。