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「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連遺産」が世界遺産に登録された。江戸末期から明治にかけて短時間で成し遂げた近代日本への産業革命。北は岩手、静岡、そして山口、福岡、長崎、鹿児島などに点在する構成遺産の中でも注目は、長崎港の沖に浮かぶ軍艦島だろう。


昭和30年代、軍艦島には約5300人が暮らしていた


利用した軍艦島上陸ツアーのブラックダイヤモンド号


軍艦島にはツアー船が一隻ずつ上陸。1時間足らずの体験になる

18世紀のイギリスが発端になった近代社会への産業革命。

長崎の出島などでオランダとの交流はあったものの、鎖国をしていた日本近海にも蒸気を主動力にした外国船が次々と押し寄せ、開国を迫られる事態になった。

当初は異国の圧力に対抗姿勢を貫いた江戸幕府だったが、アヘン戦争での清朝の敗戦がきっかけとなり開国へ歩み始める。

しかし、アジアの諸外国に見られるような欧米列強による植民地化あるいは支配ではなく、独特の“かたち”で諸外国との国交が始まり、それはそのまま明治の産業革命に結びついていった。

とくに力を発揮したのが鍋島、長州、薩摩などの西国諸藩だ。諸外国への対抗意識が強かったそれらの藩は、鉄製大砲を製造するための“反射炉”や“高炉”、造船所の建設を始める。

幕府も盛岡、伊豆の韮山に高炉を建設。長崎にはオランダ人教官を有する海軍伝習所を設ける。さらに、近代的な造船所を長崎に造った。

また、スコットランド出身のグラバーをはじめとする貿易商の活躍も見逃せない。とくにグラバーは造船、水産、ビール製造を日本で始めただけでなく、製鉄や蒸気船のエネルギー源となる炭鉱の開発、伊藤博文ら日本の若者の海外留学の手助けまで行っている。

こうして幕末から明治にかけての短時間で、日本の文化は一転する。徳川に代わる新政府が誕生し、石炭をエネルギー源とする鉄や蒸気の時代になったのだ。

世界遺産『明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域』の構成遺産は萩(山口)、鹿児島、韮山(静岡)、釜石(岩手)、佐賀、長崎、三池(福岡、熊本)、八幡(福岡)と日本各地に点在しているが、それらは反射炉、高炉、造船、製鉄、石炭に関連する現在日本の基盤となった施設である。加えて影響をおよぼしたグラバーの住宅、萩の城下町や松下村塾が構成遺産になっている。

その施設のほとんどは“現役”を退いているが、なかには造船所や製鉄所の一部として現在も活動しているものがある。そういう意味でも、これまでに登録され日本の文化遺産とは若干イメージが異なる特殊な世界遺産となった。


左は幹部用宿舎、右には神社が見える


大正5年に完成した日本初の鉄筋コンクリート製アパート


奥に小中学校、手前には石炭を運ぶベルトコンベアの支柱

今年のNHK大河ドラマ『花燃ゆ』の主人公は松田松陰の妹だ。そのために、松下村塾や長州藩の動きが物語られているために、新しい世界遺産についても知ることができる。

実際、萩にある構成遺産の数は松下村塾、萩反射炉などの5つであり見応えがある。

そして、萩を上回る8つの構成遺産を誇るのが長崎だ。

オランダ人のリードによって建設された長崎造船所(現・三菱造船所)には5つの遺産があり、そのひとつの旧木型場は現在では資料館になっていて造船所の歴史と、戦艦長門や豪華客船などの製造された船の詳細がわかる。

さらに、1909年(明治42年)にイギリスから輸入されたジャイアント・カンチレバークレーンはいまだに現役で、長崎港内にある三菱造船所内で動いている(三菱造船所内施設は資料館以外見学禁止)。

加えて長崎港を見下ろす旧グラバー住宅も構成遺産のひとつだ。そして、長崎の構成遺産の残りふたつは炭鉱である。

ともに長崎港の沖に浮かぶ島で、グラバーの別邸があった高島炭坑と、その姿が戦艦土佐に似ていたことから「軍艦島」と呼ばれるようになった端島炭坑だ。

共に炭坑は閉鎖されており、高島ではフルーティートマトの栽培が盛んだが、端島は人の住まない巨大な“廃墟”になっている。

最盛期には東京都区部の9倍の人口密度となる約5300人が狭い島に暮らし、昭和30年代には全世帯にテレビ、洗濯機、冷蔵庫の“3種の神器”が揃っていたと伝わる軍艦島。

クルマを長崎港に停めてフェリーでの旅となるが、近代日本を築き上げたエネルギー源の採掘場への旅は、今回の世界遺産の旅のハイライトでもある。

ただし、軍艦島は巨大廃墟であるから、一般の観光客が立ち入りできる場所も限られているし、軍艦島を肌で知るためにはツアーに参加しなくてはならない。

ツアーは所要時間3時間ほどで高島、端島をめぐるものがほとんどで費用は大人4000円未満だ。未知なる廃墟へ、全盛期を想像する旅にでかけてみよう。


高島の資料館にて。高島も端島も“海底”の炭坑だった


伊王島の教会。長崎の教会群も世界遺産登録の可能性がある


旧グラバー住宅は国内外の観光客であふれていた

やがて海上に見えてきた端島は、なるほど軍艦島と呼ぶのがふさわしい。

もともと南北320m、東西120mの小さな荒瀬だったが、6回にわたる埋め立てと、1916年(大正5年)に建設された日本初の7階建て鉄筋コンクリートのアパートなどの建造物によって現在の姿になった。

映画の舞台になった夕張炭鉱や、九州でも内陸部の炭鉱には採掘時の不要部でできる“ボタ山”がある。しかし、端島や三池炭鉱にはボタ山がない。それらは埋め立てに使用されたからである。

炭鉱での仕事は過酷。生命の危険もある。しかし、製鉄や蒸気機関を支える貴重なエネルギー源だけに一定以上の採掘量が必要だ。そのためには人員を確保し、基準以上の生活を保障するしかない。

軍艦島には鉄筋コンクリートのアパートのみならず、小中学校、プール、病院、映画館、パチンコホール、神社などがあった。

隆盛を極めた軍艦島だったが、やがて石炭から石油に時代が変わる。それによって1974年(昭和49年)に閉山となり、わずか3カ月で無人島と化した。

放置された軍艦島だったが、2009年に一般の上陸が可能になって今日に至っている。

長崎港を出航したツアー船は、長崎造船所などの港風景を見ながら沖へ進む。海浜リゾートがある伊王島の次に立ち寄るのは高島だ。

高島には長崎市高島石炭資料館があり、採掘の様子や炭坑に従事する人々の暮らしぶりがわかる。軍艦島の模型もあり、これから上陸する軍艦島の詳細をガイドが語る。

高島からさらに15分ほど進んだところに軍艦島がある。ツアー船用に設置された桟橋から上陸する。

さまざまな施設が廃墟となって目の前に姿を見せる。

まさに、完璧なる“廃墟”だ。

40年の歳月が島に草を生やし、コンクリートを老朽化させている。

しかし、目を閉じれば見えてくる。

仕事を終えて炭坑に続く階段を戻ってくる炭坑夫たちが。学校の校庭で遊ぶ子どもたちが。アパートに残された婦人たちの姿が。

近代日本を影で支えた人々の姿が、廃墟となった小さな島で見えてくるのである。

「観光スポット」と呼ぶのはふさわしくないかもしれない。それでも明治日本の産業革命遺産は、見ておくのにふさわしい近代日本への分岐点に違いない。

※新しい世界遺産については『旅行読売』6月号(バックナンバー)をご覧ください。


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●明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域
http://www.kyuyama.jp/
●軍艦島上陸ツアー(今回の体験で利用した会社)
http://www.gunkanjima-cruise.jp/
< PROFILE >
木場 新
休日評論家。主な出版物に共著の『温泉遺産の旅 奇跡の湯 ぶくぶく自噴泉めぐり』、一部執筆&プロデュースの『温泉遺産』、『パックツアーをVIP旅行に変える78の秘訣』などがある。ウェブサイト「YOMIURI ONLINE」に「いいもんだ田舎暮らし」の連載ほか。
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