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鳥取砂丘から山陰道県道265号線をクルマで東に向かって約20分。街道筋と思しき住宅街の一角に、岩井温泉はある。開湯から1300年、山陰最古と呼ばれる岩井の湯は、いまもこんこんと湯船の中から湯が湧き出ていた。

岩井温泉 岩井屋
所在地:鳥取県岩美郡岩美町岩井544
TEL:0857-72-1525
●泉質:カルシウム・ナトリウム-硫酸温泉
●源泉温度:50度
●湧出量:不明
●pH:7.4
●日帰り入浴:大人800円、子ども500円、6歳未満300円(12:00~:19:00最終受付)



ぶくぶく自噴泉の「名物 源泉長寿の湯」。透明度の高い湯が次から次へとあふれ出てくる


長寿の湯のすのこの下から湯が湧き出る。深さは胸ぐらいまであるとは思えない

源泉は柄杓ですくって飲むことができる


20時に男女入れ替えとなる「露天 背戸の湯」

山陰の民芸品や調度品で彩られたロビーとティーラウンジ

建物は湯治場の雰囲気が残る木造三階建てだ

2003年に『温泉遺産』というムック本の編集を手がけた際、3つのカテゴリーにあてはまる温泉地を厳選して紹介した。
それは「温泉施設の建造物」「温泉文化・風俗」「源泉かけ流し風呂」だ。
温泉には伝統的な入浴法や風俗があり、料理など日常生活に密着して利用されている地域もある。
そのような視点で取り上げた「温泉文化・風俗」のところで、鳥取県・岩井温泉の「湯かむり唄」を掲載した。

湯につかりながら、柄杓の口を逆さまにして片手に持ち、左右の手を交互に動かして水面を叩く。すると一定のリズムが生まれて、かっぽんかっぽんと調子が出てくる。
リズムに合わせ、「ヤレヤレヤレヤレ」の合図で湯かむり唄が始まる。

 「ヤレヤレヤレヤレ 始まる始まる
 始めたところは 因州因幡の
 岩井の温泉 湯かむり唄だよ
 三つに四つは 五つでも六つ
 七な八つは 初めのおとよ

 ヤレヤレヤレヤレ 初めのおとよ
 大阪京都や 中国四国に
 響きわたりし 岩井の温泉
 効能は篤より 承知のことなら
 これからぽつぽつ 八景口説だ
 三つに四つは 五つでも六つ
 七な八つは はたちのねえさん

 ヤレヤレヤレヤレ はたちのねえさん
 春の眺めの 柳や桜は
 重宝するのは 世界の例だよ
 派手で見事な 宇台の菜種は
 愛宕おろしに ほやほや揺られて
 舞うて出てくる 蝶々と花だよ
 三つに四つは 五つでも六つ
 七な八つは お三の宿で」

自然湧出の湯の温度は42度。
夏ならば適温だが、冬は日本海から冷たく湿った空気が流れ込み、寒さの厳しい岩井温泉では、長湯しないと体の芯まで温まらない。
頭をすっぽりと覆うように手ぬぐいを乗せ、柄杓で湯をすくって頭の上からかける。いつしか拍子をとって歌うようになったことから、「湯かむり唄」という名で知られるようになった。

最初は歌詞に決まりはなかったのだろう。
忠臣蔵づくし、岩井八景づくし、芸題づくしと、歌のお題はさまざまで、この調子で延々と100番まで続くものもあるという。

発祥は江戸時代中期。忠臣蔵が戯曲になり、江戸浄瑠璃として知られるようになると、湯かむり唄は大人気の忠臣蔵を元にして始まった。
その後、長湯の際の替え歌として、庶民に広く親しまれてきた。

岩井温泉は山陰最古の温泉地として、平安時代、貞観元年(859)開湯と伝えられており、旅館岩井屋に、岩井温泉の歴史が残されている。

藤原冬嗣(775-826)の子孫に藤原冬久(不詳)という者がいるという。
ひどい皮膚病を患っていた冬久は、人目を避けるようあちらこちらと旅を続けていた。
山陰道をさすらって岩井にたどり着いたときに、薬師如来にも似た不思議な女に遭遇する。その女にお湯をかけられると、ただれた肌は元の美しい肌に戻ったという。
その後、冬久は岩井に永住し、温泉によって病に悩む人々を助けたと伝えられている。

『日本鉱泉誌』(明治19年刊・内務省衛生局編纂)にも、開湯は不明であるものの、岩井温泉の故事が記されている。

宇治の長者が居を求めてこの石井郷(岩井の古い呼称)に来た際、神女と出会う。
「私は医王である。汝を久しく待っていた」と湧泉を指し、終焉の地とするよう宇治長者に指示する。この山城宇治郷の長者こそ、左大臣藤原冬嗣の裔、冬忠の第二子冬久であった。冬久は感謝して自ら医王の像(薬師如来)を彫り、資材を費やして湯栄山如来寺(現・東源寺)と称する仏閣を造ってそこに安置した。
冬久は母が長男よりも自分を溺愛し、兄を廃する意があることを知り、家を去ってこの地に隠匿してきたのだった。
貧困を憐れむ人々はみな冬久の徳に懐き、清和天皇(850-881)はこれを賞して土地と木材を賜うた。
これにより浴場を建造することができることになり、浴客が群がって集まるようになった。冬久は最期には天寿をまっとうし、子孫は連綿と続いたという。
その後、元享年間(1321-1323)半ばに起きた平高時(北条高時)の乱(不明)により、その祀を絶ち、浴場も廃されることになる。
約300年後、敏達天皇(572-585)の子孫、橘光仲(池田光仲・1630-1693)が因幡伯耆(鳥取藩)の太守となり、この温泉が廃されたことを嘆き、再興に尽力した。
公卿が岩井温泉で遊んだことは、多くの和歌にも詠まれているという。

岩井温泉は昭和48年(1973)に国民保養温泉地に指定され、泉質もお墨付きだ。
旧泉質名は硫酸塩泉-含芒硝石膏泉。無色透明、無味無臭で中性だからクセがない。硫酸イオンが血管を拡張して血行をよくし、切り傷や皮膚病、高血圧や動脈硬化の予防にも効果があると考えられている。「傷の湯」「中風の湯」「脳卒中の湯」として呼ばれることがあり、その効果が期待できる。

岩井屋で、注目すべきとくにすばらしい浴槽が、源泉でもある「長寿の湯」だ。
壁にはステンドグラス。近代的な雰囲気のなかにも大正モダンのイメージが漂う。
大ぶりのタイル敷きを進むと、壁際には全長3mほどの湯船が。透明度が高く、床と同じ高さの水面に湯が注ぎ込んでいるが、こちらは飲泉もできる源泉そのもの。
浴槽の足元にすのこが敷いてあるが、湯はこの下からも湧出している。
浴槽内で温泉が湧く「ぶくぶく自噴泉」だ。
じつはこの浴槽、見た目以上に深い。湯が透き通っているから気づかないが、直立しても胸まで浸かるほどの深さがある。
温泉はこの長寿の湯のほかに、竹垣に囲まれた露天の「背戸の湯」と貸切風呂があり、露天風呂とは男女が時間制の入れ替えになっている。だから、男女ともに、このぶくぶく自噴泉に入れるチャンスは必ずある。

湯は無色透明で、なめるとほんのりと塩気というか、旨味を感じた。中性でミネラルが豊富だから、肌あたりがやわらかで傷の治りも早いのかもしれない。

畳敷きの廊下をたどって、再びロビーへと戻る。
売店の隣にあるティーラウンジには、センスがよく座り心地のいい椅子が置いてあった。テーブルの上には茶と青磁とのツートンカラーで彩られた品のいい灰皿が。
こちらは柳宗理ディレクションによる、因州・中井窯の作品だった。
鳥取県には、民藝文化が色濃く遺されている。柳宋悦が提唱した民藝運動に感化された県内の有力者が、優れた職人たちをバックアップして育て上げた。
木造三階建ての建築だけでなく、浴室の景色や、ロビーの佇まいなど、古くて新しい美しい機能美がそこここに見られる。
こうした文化に触れられるのも、湯かむり唄を伝承する温泉地の心意気なのかもしれない。


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神戸、岡山方面からは、中国自動車道・佐用ICより84㎞。1時間15分。鳥取自動車道を北へ。鳥取ICから国道29号線を日本海方面に向かい、国道9号線駟馳山バイパスを東の岩美町方面へ。鳥取空港からは国道9号線を東に向かい、約21㎞、25分。
< PROFILE >
長津佳祐
ゴルフや温泉、クルーズ、スローライフを中心に編集・撮影・執筆を手がける。山と溪谷社より共著で『温泉遺産の旅 奇跡の湯 ぶくぶく自噴泉めぐり』を上梓。北海道から九州まで自噴泉の湯船を撮り下ろしで取材した、斬新な切り口の温泉本になっている。
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