キャンプが少々つらくなるこの時期、このコラムでも「冬は知識武装しよう」をテーマに、アウトドア雑誌&アウトドアクッキングBOOKを過去に紹介しました。今回はその続きで編集部おすすめ山岳小説をご紹介。キャンプ場をベースに山をめざすアルピニストたちの心理と人間模様…。さらにアウトドアが好きになること確実です!
「冬はトップシーズンの準備期間」と考えているキャンパーも多いようで、その証拠にキャンプ場の利用率がぐっと少なくなり、冬季営業休止というキャンプ場も珍しくありません。
普段使うキャンプ用具では寒さ対策が万全ではないケースも多く、キャンプから遠ざかってしまうのも無理はないでしょう。
そこでこの連載でも寒い季節に行っているのが「読書の冬」の提案です。
冬のあいだに知識武装をしようをテーマにアウトドア雑誌やアウトドアクッキング書籍を過去にも紹介しました。ぜひ、バックナンバーをご覧になってください。
そして、今回の「読書の冬」は山岳小説を中心に紹介します。
しかも、セレクトは編集室の勝手な基準に則っています。かつて著者にお会いしたことがあるとか、そんな一方的な理由で選ばれています。
でも、どの小説も読みごたえがあり、「アウトドアへの熱い想い」を冬のあいだに育てるのにぴったりです。
ぜひ、寒すぎて室内に閉じこもった休日に、読破してください。
(新潮文庫)
『深夜特急』で大人気となったノンフィクション作家の沢木耕太郎氏。実は編集室のボスは『深夜特急』執筆前の沢木氏と銀座で打ち合わせをして、『深夜特急』の構想を聞いています。ボスもマレーシアからシンガポールへの列車の旅、パキスタンからアフガニスタンへの旅を若いころに経験しているので、とても話が合ったそうです。結果的に沢木氏との企画は実現しませんでしたが、長身で爽やかな、そして真摯な対応に魅せられたとのことです。
『凍』は最強のクライマー山野井泰史氏の登山への想い、壮絶な登行を綴ったもので、第28回講談社ノンフィクション賞を受賞しています。今回のプレゼント賞品でもあります。
(河出文庫)
『どくとるマンボウ』シリーズで人気となった北杜夫(1927~2011年)氏は医師の資格を持っており、雇われ医師としてカラコラムの未踏峰ディラン遠征隊に参加しています。
当時、パキスタンの総領事館には若き今川好則氏というパキスタンの言語に通じた領事がおり、彼が日本人の通訳・コーディネーターとしてベースキャンプまで同行しています。今川氏と編集室のボスが知人であるために、カラコラム登行の話は何度も聞いていたそうで、そこにはさまざまな人間模様があったとのことです。
それを北杜夫氏が文学作品に仕上げました。
(文芸社文庫)
梓林太郎氏のミステリーの舞台はほとんどが山です。登山経験がある人なら「なるほど」と納得できる謎や殺人の秘密が小説の中に隠されています。
アウトドア雑誌の編集もしていた編集室のボスが、その雑誌のインタビュー記事でゲストに梓氏を招いたことがあります。人気作家ではありますが、それよりも「山小屋にいそう」な雰囲気をもっており、山に詳しく、お会いすることで梓氏の小説がより身近に感じられたとのこと。山に囲まれた長野県飯田市に生まれ、貿易会社や調査会社にいたときも登山を趣味としていただけに、登山のシーンの描写も迫力があります。
『燕岳 殺人山行』は死者を出した銀座雑居ビルの火災と、そこから姿を消して燕岳山頂付近で死体で発見された男、行方がわからないままの女の人生が絡み合うミステリーです。
(新潮文庫)
舞台は穂高岳。編集室でもしばしば取材と遊びを兼ねて上高地にでかけます。マイカーで入れないエリアですから、徳沢や横尾などの登山ベースになる場所へもバスターミナルがある河童橋から歩いて行かないといけません。
河童橋から穂高神社、明神を過ぎて約90分の道程で到着するのが徳沢です。目の前に『氷壁』の舞台になった前穂高岳が望める絶景の地です。
「氷壁の宿徳澤園」は隣接してキャンプ場も運営しています。区画のないオープンスペースのキャンプ場で、登山者のベースとして利用されるケースが目立ちますが、貸しテントも設置しています。
切れるはずのないザイルが切れて墜死することで物語が展開する『氷壁』の舞台を目の前にするキャンプはなかなかいいものです。トップシーズンに上高地、徳沢にでかける前に読んでおきたい小説でしょう。
(新潮文庫)
筆者はNHKのドキュメンタリー『プロジェクトX』を観るまで新田次郎氏(1912~1980年)が、中央気象台(現気象庁)に入庁して富士山観測所に配属されていたことを知りませんでした。しかも、伊勢湾台風の被害の教訓から広範囲の雨雲を察知するレーダーの必要性を問われ、当時、世界最高所の常設気象観察所となる富士山観測所の困難を極めた開設事業に関わったわけですから、新田氏自身、山の厳しい環境を数多く体験したことが推測できます。
気象庁に勤務している時に作家としてデビューした新田氏ですが、その作品は長年の気象観測と山での体験に基づいて、山を舞台にしたものも数多くあります。たとえば『八甲田山死の彷徨』『栄光の岸壁』などがその代表でしょう。
『孤高の人』も代表作のひとつで、昭和初期に社会人登山家として山道を開拓しながら日本アルプスの山々を踏破していった加藤文太郎を題材にしています。
富士山の観測所は閉鎖されましたが、新田文学はアウトドア好きの人たちのなかで生き続けています。
(集英社文庫)
編集室でもお世話になったことがある阿久津悦夫カメラマンは世界五大陸の最高峰に登頂経験があります。植村直己氏とも登行経験があり、数々の登山ドキュメンタリー映画の撮影を担当しています。
山の経験が豊富な阿久津氏でも遭難の経験があり、ヒマラヤに行ったときに突然の暴風雪に遭いビバークを余儀なくされたそうです。
「寝てはいけない」とわかってはいるのですが、瞼は異常に重くなる…、そのとき、ヨーロッパの小都市で見たカーニバルが谷の下を行くのを見たそうです。「あそこに行けば楽しいだろうな、あったかいのだろうな」と思ってしまう。でも、それは幻想。行ってしまえば死んでしまう。その誘惑との戦いだったそうです。
結局、阿久津氏は誘惑に勝って生還し、同じ日に別の場所で遭難した仲間は帰らぬ人になったとのこと。
『神々の山嶺』は死なせたパートナーへの罪障感に悩む主人公が前人未踏のエベレスト南西壁冬期無酸素単独登頂に挑む物語です。そこに、マロリーのエベレスト初登頂の秘密も絡み、読み応え十分の物語になっています。第11回柴田錬三郎賞受賞作です。
(文春文庫)
パキスタン航空にイスラマバード→北京→成田という便があります。今は夜中に飛行するようですが、かつてはイスラマバードを朝出発していました。
この便に搭乗したのが編集室のボスです。運よく窓側の席をキープできたのですが、窓側に面したシートを確保した乗客たちは、誰もがカメラを手にしています。その理由は景色にあります。
イスラマバードを飛び立った飛行機はK2をはじめとするヒマラヤの山々の上を超えます。たぶん高度は1万m以上ですが、標高7000mを超える山々の山頂は間近に見えます。
「晴天だったから、山頂を吹く風が見えたよ。山頂の雪が舞うのがはっきり見えるんだ。もしも登山家がいたら見えたに違いない」と、ボス。
飛行機はその後、シルクロードに沿って砂漠地帯や万里の長城を越えて北京に到着します。
この飛行機は「大展望便」として密かな人気でした。機長も山の名前をアナウンスしたそうです。
『還るべき場所』は世界第2の標高を誇るK2の未踏ルートに挑んでいた主人公が登頂寸前の事故でパートナーを失い、失意の日々を乗り越え再びヒマラヤに向き合う姿を描いています。
(徳間文庫)
スイスの山岳リゾートに行くとスキーセンターやロープウエー乗り場などに大きなセント・バーナードがいます。たいていは寝そべっているのですが、いざとなれば彼らは山岳救助犬として活躍します。
以前、スイスのサン・ベルナール修道院にセント・バーナードの祖先といえる犬種の「バリー」という犬がいました。
バリーは雪深いアルプスで山岳救助犬として活躍し、生涯で40人以上の命を救った世界でもっとも有名なセント・バーナードです。
本書は短編小説であり、トレイルランニングを題材にした物語や、山岳救助隊員と山岳救助犬の物語などが収録されています。
山でのモラルやマナーについても考えさせられる1冊です。
(中公文庫)
編集室のメンバーは編集の仕事だけでなく、コラムや記事の執筆も行っています。とくに旅やスポーツに詳しいものが多く、これまでにも旅雑誌やスポーツムックをずいぶん出版してきました。
スポーツジャーナリストになりたくて編集の仕事を始めたものも少なくありません。そのきっかけになった文が山際淳司氏のデビュー作である『江夏の21球』でした。
1979年の日本シリーズ第7戦。広島東洋カープと近鉄バッファローズ戦において、リリーフの江夏が9回裏に投じた21球を、1球ごとに戦いに関わる人々の心理を描いた名作です。
この本の影響でスポーツライターをめざす人が増えたという説がありますが、それは嘘ではないと確信しています。
『みんな山が大好きだった』は山際氏が氷壁にたち向かうアルピニストたちの生と死に向かいあった著作です。
これもまた“山際ノンフィクション”の名作といえるでしょう。
山際氏は95年に亡くなっていますが、スポーツと対峙した氏の作品の魅力は衰えません。
(実業之日本社)
編集室のボスはスキー雑誌の編集長をしていました。
里谷多英選手が金メダルに輝いた長野オリンピック、モーグル競技。男子は三浦豪太選手が出場していました。そう、三浦雄一郎氏の次男です。
そのために、ボスは三浦雄一郎氏と並んでモーグルを観戦しています。
それから10年後、2008年に三浦雄一郎氏は75歳でエベレスト登頂に成功。
「長野オリンピックでお会いしたときは、現役プロスキーヤーとしてはおしまいなのかなと思ったりしたけど、まったく違った。雄一郎さんはスーパーな人だよ」と、ボスは感嘆していました。
しかし、そこまでの道程は平坦ではありません。不整脈を患い二度の心臓手術を経てのプロジェクトでした。
また、この登山にはもうひとつの逸話があります。モーグル選手だった豪太が標高8200m地点で極度の高山病になり緊急下山。生死をさまようのです。
雄一郎氏の父親、100歳を超えても現役スキーヤーだった敬三氏から受け継がれた冒険のDNA。その一端に触れられる1冊です。
< PROFILE >
浜口昭宏
雑誌やWEB編集を始めて数年の編集者。超がつくほどのアウトドア初心者だったが、猛勉強をしてそれなりに成長。アウトドアの中で大好きなシチュエーションは、ビールがおいしいBBQ。
浜口昭宏
雑誌やWEB編集を始めて数年の編集者。超がつくほどのアウトドア初心者だったが、猛勉強をしてそれなりに成長。アウトドアの中で大好きなシチュエーションは、ビールがおいしいBBQ。