NTTコムリサーチによれば、温泉数の多い都道府県は北海道、長野、青森、新潟、福島と続き、愛媛県は下位から数えて9番目に当たります。しかし、「日本最古」と呼ばれる温泉が愛媛県にはあります。それが道後温泉です。
旅館やおみやげ店が並ぶ道後の中心部にある道後温泉本館
振鷺閣の太鼓は道後に時を知らせる。屋根の上には鷺が見える
道後温泉本館前。人力車が観光客から声がかかるのを待っていた
独特の雰囲気をもつ「神の湯」。アルカリ性単純温泉のやわらかい湯が注がれる
伊佐庭の信念と城大工の技が造った道後温泉本館は周囲を歩いて建造物見学をしたい
街中を走る坊っちゃん列車。山の上には松山城が見える
松山市内では今治名物の焼き鳥や、宇和島名物の鯛めしなど愛媛県の食が存分に味わえる
道後温泉
●住所:愛媛県松山市道後湯之町5番6号
●受付時間:6:00~22:30(入浴プランによって異なる)TEL:089-921-5141
●泉質:アルカリ性単純温泉(低張性アルカリ性高温泉)
●源泉温度:約42度前後(現在源泉数18本)
●pH:9.1
●住所:愛媛県松山市道後湯之町5番6号
●受付時間:6:00~22:30(入浴プランによって異なる)TEL:089-921-5141
●泉質:アルカリ性単純温泉(低張性アルカリ性高温泉)
●源泉温度:約42度前後(現在源泉数18本)
●pH:9.1
毎朝6時の太鼓の音。それは道後温泉本館の開館の合図であり、松山の朝を告げる音でもある。
環境省選定「残したい日本の音風景100選」に選定された太鼓の音は、道後温泉本館3階の屋上に設置されている「振鷺閣(しんろかく)」から響く。
ネオンがなかった時代には、振鷺閣に設置された釣ランプの灯りが街の人のシンボルであり、設置された太鼓の音が時を教えた。
現在も朝6時、正午、夕方6時の1日に3回だけ太鼓の音は松山の街に響いている。
前回、下呂温泉の記事で記したと同様、道後温泉も白鷺伝説の残る温泉地である。
足にケガを負った一羽の白鷺が岩間から湧出する温泉を見つけ、毎日来ては足を浸けていたところ、キズはやがて癒えて元気に飛び去っていく。この様子を見ていた人が、不思議に思って入浴したところ、疲労が回復して晴れ晴れとした気分になった。さらに、病人を入浴させたら全快した…という伝説だ。
振鷺閣の上に鷺がいるもの、伝説に基づくものである。
道後温泉の歴史は古い。『日本書記』にその名が登場しているだけに、「日本最古の温泉」と呼ばれるにふさわしい。
その根拠の一つは、道後温泉にある冠山から約3000年前の縄文中期の土器や石鏃(せきぞく)が出土していることであり、伝説や神話だけでなく史実にも道後温泉が登場するからだ。
また、法興6年(596年)に伊予の温泉を訪れた聖徳太子は、「ツバキが豊かに生い茂った温泉は、天寿国のようだ」といった碑文一首を残している。
長い歴史のある道後温泉だが、現在の道後温泉本館は明治23年(1890年)に改築に取り組んで完成したものだ。
そこにはひとりの立役者がいる。初代道後町長の伊佐庭如矢(いさにわゆきや)である。
老朽化していた道後温泉の湯小屋を「100年経っても真似のできないものを造ってこそ意味がある」という発想で改築を図った。
しかし、その意見が斬新であればあるほど、反対意見も多く出る。伊佐庭の意見に対立するものも少なくなかった。時には脅しともとれる行為もあったという。
信念を貫く伊佐庭は自らの給与を無給とし、町民の説得にやがて成功する。改築時には城大工を棟梁にして、当時珍しかった木造三層楼を造り上げた。
加えて道後への鉄道の引き込みや関西からの航路などの交通整備をはじめ、道後温泉を発展させるあらゆる手段を講じる。
これがただ単に歴史がある温泉というだけでなく、日本を代表する名湯・温泉地として全国に名を広めるきっかけになった。
現在、新たに開館する日帰り温泉施設には、当たり前のように複数の湯船や露天風呂が設置される。休憩室などを備えた施設も多い。
しかし、明治中期ではそんな施設はほとんどない。共同浴場といえば混浴の大浴場が一つだけだったり、男女別の小さな湯船が備わっている程度だった。
しかし、道後温泉は違った。1階に神の湯(男性浴槽×2、女性浴槽×1)、霊の湯(男女各1)の浴槽があり、2~3階には休憩所が設けられた。
現在、利用できる湯船や休憩室によって入浴料金が設定されている。たとえば、もっとも高額な「霊の湯と3階個室」を使うプランは大人1550円で営業時間は6時~22時。利用時間は1時間20分で貸浴衣、お茶、坊っちゃん団子、貸タオル、又新殿(ゆうしんでん)観覧が付いている。
リーズナブルな「神の湯階下プラン」は大人260円で営業時間は6時~23時。利用時間は1時間だ。
ちなみに又新殿とは明治32年に建てられた皇室専用の湯船。実際に昭和天皇は昭和25年に来館して入浴を楽しんでおられる。
伊佐庭が道後温泉の改築を実行し、シンボルの一つとした街・松山は、温泉以外の観光も楽しめる場所だ。
松山の中心部、勝山山頂にある松山城は、日本に12カ所しかない現存する天守である。
寛永12年(1635年)に松平定行が15万石の藩主となり、安政元年(1854年)に第12代藩主勝善によって大天守ほか本丸本壇が再建された。
残念ながら昭和初期に大天守以外を焼失したが、現在では小天守をはじめ塀なども復元され、観光客の目を楽しませている。
松山城を見上げながら街を走るのは「坊っちゃん列車」だ。その名は夏目漱石の小説、松山を舞台にした『坊っちゃん』に由来する。
現在の坊っちゃん列車はディーゼルエンジンを動力にし、蒸気を煙に見立てているが、元々は明治21年から67年間に渡り松山市民の足として活躍した蒸気機関車がモデル。これもまた、伊佐庭が思い描いた夢の延長にあるものだ。
坊っちゃんが活躍した松山には、夏目漱石だけではなく司馬遼太郎が発した壮大な物語もある。『坂の上の雲』である。
松山で育った秋山好古、真之兄弟と、多くの短歌と俳句を残して一時期松山に暮らした正岡子規の3名の生き様と日清戦争、日露戦争に続く日本の歴史をつづった長編小説だ。
現在、市内には坂の上の雲ミュージアムが開館し、注意深く見れば原付バイクに雲を模ったナンバープレートを見ることができる。
未来まで見据えて改築された3000年の歴史をもつ温泉と、観光名所が多い松山。
おでかけするのにふさわしい日本を代表する温泉地である。
山陽自動車道倉敷JCT→瀬戸中央道→高松道→松山道三島川之江IC経由で松山市内。尾道から「瀬戸内しまなみ海道」利用が便利。
< PROFILE >
篠遠 泉
出版社勤務時はスポーツやアウトドア、旅関連ムックの編集長を務める。山と溪谷社より共著で『温泉遺産の旅 奇跡の湯 ぶくぶく自噴泉めぐり』を上梓。旅雑誌などに連載中。
篠遠 泉
出版社勤務時はスポーツやアウトドア、旅関連ムックの編集長を務める。山と溪谷社より共著で『温泉遺産の旅 奇跡の湯 ぶくぶく自噴泉めぐり』を上梓。旅雑誌などに連載中。