「うだつがあがらない」…生活の地位が向上しないこと、見栄えがしないことを昔からこのように例えました。それでは、うだつとは何でしょうか? そこで、「うだつがあがる街」へ行ってきました。
岐阜県中津川の旧中山道宿のうだつ
岐阜県美濃市の「うだつの上がる町並み」
まるで江戸時代の街並み
「うだつ」の意味を調べれば、「日本家屋の屋根に取り付けられる小柱」と出てきます。
なぜ、屋根の上にうだつを設置する必要があったのでしょう。主な目的は防火壁としてのものでした。
「?」という字があてられるうだつは、平安時代には「うだち」と呼ばれていたものがなまった結果という文献があるので、ずいぶん昔から日本家屋に設置されていたと考えられます。
一般の日本家屋の特徴の一つは、隣家と繋がっているということです。ヨーロッパの古い街並みに見られる家屋も、隣家と隣家が繋がっているところばかりです。ただし、大きく異なるのは、ヨーロッパは石造りで、日本は木製という点です。
木製であれば火事のときに延焼してしまう可能性がたぶんにあります。隣家が出火した際に、火事が燃え移るのを防ぐために設置された防火壁がうだつでした。
もちろん、大火であればうだつがあったぐらいでは延焼は防げません。
各地の歴史に関する文献を紐解けば、大火によって町が全焼したといった記録をしばしば目にします。うだつもろとも町が焼失してしまったということになります。
江戸時代中期になると、うだつはたぶんに装飾的な意味をもちます。
うだつを設置するには、かなりの出費が必要になります。うだつを立てるということは、それぞれの家の財力を示す意味もあったのです。
そのことから、「うだつがあがる」「うだつがあがらない」という言葉が生まれ、うだつのあがった家は“成功者”であり、うだつがあがらない家は「生活が向上しない」「見栄えがしない」となりました。
つまり、「うだつのあがった街」は、成功者が多く暮らした街でもあります。まさに、パワースポットといえませんか?
江戸時代にうだつがあがった街を訪ね、かつてのパワーの片りんを見せてもらいました。
ライトアップされた脇町の古い街並み
脇町は藍の商いで栄えました
うだつがあがる街にはパワーがあります
今や貴重なうだつのあがる街並みで、私が旅したのは岐阜県の中津川市と美濃市、徳島県美馬市の脇町です。
もちろん、江戸末期には全国の各地にうだつのあがった街はたくさんあったでしょう。しかし、平成の今日まで、その姿が残っている街はそれほど多くありません。
私の訪ねた3つの街並みは、うだつが連なる家々が保存されています。
そして、3つの街はどこもが江戸時代に繁栄した歴史をもっています。
中津川は旧中山道の宿場町です。宿場町としての繁栄だけではなく、木曽川沿いに位置するために、尾張方面に船荷を出すのに都合がよく、商家を主とする街が形成されました。
天領の森であった木曽の山々へのベース基地でもあり、自然に人が集まってくる街でもありました。そのために、商家や酒蔵を筆頭に、うだつがあがっていきました。
美濃市は紙漉きの街です。和紙に適した植物が周辺で採れるために、自然に和紙を作る民家が増えていきました。
地元で作られる和紙を商う商家が美濃に軒を連ねていました。
徳島県美馬市脇町は吉野川沿いにあります。吉野川の水運に恵まれた脇町は、染料として用いられる「藍」と、「繭」の商いで栄えました。
とくに藍の売買は盛んで、一時は100軒を超える藍商人が暮らしていたほどで、まさに隆盛を誇っていました。彼らの象徴こそ、うだつだったのです。
私は3つの街しか訪ねていませんが、確かにうだつには「防火壁」としての実用性よりも、「主張」「顕示欲」のようなものを感じました。長い時間のなかでは江戸時代中期から明治時代にかけての一時とはいえ、そこには栄華を極めた人々が暮らしていました。
なにも神社やお寺ばかりがパワースポットではありません。繁栄をもたらした人々が生きた場所も、底知れぬパワーにあふれているものです。
和紙の商いで財産を築いた今井家の建物
庭を望む和室もみごとです
水を流せば、琴の音色が奏でられる水琴窟
※脇町の写真は徳島県観光情報ナビよりお借りしています。
うだつのあがる街には公開されている商家などの豪邸もあります。
美濃市の「うだつの上がる町並み」でもっとも目立つのは「旧今井家住宅」です。
江戸時代中期に建てられた市内最大規模の商家で、間口は約22m、奥行き14.5m、建坪96坪(316.8㎡)の中2階の豪邸です。
紙問屋として成功しただけに、玄関を入ればすぐに帳場があります。現在では管理を任された人しかいませんが、目を閉じれば、マゲを結び、着物を着た番頭が帳簿を付けている様子が浮かんできます。
帳場横には「明かり取り」があります。まるで、煙突のように立ち、上部が開いているために、自然光が入り、帳場周辺を明るくしていました。
明治時代に行われた改築の際に造られたものですが、このあたりにも贅沢な和建築文化を感じさせます。
帳場から土間に続く先は蔵となっており、帳場の後ろ側は和室が広がっています。庭を望む和室もみごとですが、私の目と耳を魅了したのは庭にある「水琴窟(すいきんくつ)」でした。
水琴窟とは日本庭園に設置される鉢と水を利用した音響装置です。小さな穴を開けたカメを逆さに埋め込みます。その上から水を流すと、流れた水滴がカメの中で反響し、琴のような涼しげで、美しい音色を奏でます。
豪邸というのは大きな家を造ったというだけではいけないのです。細部にまでこだわり、そこに“風流”をさりげなく入れなくては、心の豊かさまでは表現できません。
水琴窟は繁栄を極めたという金銭的な“富”だけではなく、心の豊かさも示していました。
「人はお金だけではない」と、人はしばしば口にします。私もそれには共感できます。しかし、金銭的な富によって生まれた余裕によって、客人まで楽しませる細工を庭にまで取り入れる…。それもまた人がなせることなのだと悟りました。
うだつのあがる街への旅は、先人たちの富と心の豊かさを感じるものでもあります。
「ご利益は?」と尋ねられると困りますが、そこに生まれた力やゆとりを感じることは、旅人にとっても有効に違いないと感じたのでした。
< PROFILE >
遠藤 里佳子
旅行雑誌ライター。国内外の旅を多く取材。全都道府県を制覇(通過ではなく宿泊をしてカウント)したのは32歳のとき。ハワイやカナダ、オーストラリア、東南アジア、中国など太平洋圏に詳しい。
遠藤 里佳子
旅行雑誌ライター。国内外の旅を多く取材。全都道府県を制覇(通過ではなく宿泊をしてカウント)したのは32歳のとき。ハワイやカナダ、オーストラリア、東南アジア、中国など太平洋圏に詳しい。