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これからのシーズン、各地で音楽フェスが開催されます。会場はビーチだったり、緑に覆われたスキー場だったり。大がかりなものがあれば、小さな会場でのフェスも。ミュージシャンもそれぞれ。共通しているのは誰もが参加でき、間違いなく楽しいということです。







5月19日の土曜日、ぼくは中野サンプラザにいた。

入り口付近に集まってきた大勢の中年世代は、開場時間を首を長くして待っている。たぶん、息子や娘なのだろう、中高生を引き連れた人もそこに混じる。

黒いTシャツがやけに目立つ。胸には赤い星が描かれ、その星の中に、「JUN SKY WALKER(S)」(ジュンスカイウォーカーズ)の文字が浮かぶ。

この日は彼らの結成30周年記念ライブだった。

ホコ天で一躍人気を得たのは80年代後半のこと。すぐにミニアルバム『全部このままで』でメジャーデビュー。続いてアルバム『歩いていこう』はオリコンチャートに名を連ね、CMなどでもその曲は流された。

彼らが活動に休止符を打ったのは1997年のこと。それから10年後。2007年に2夜限りの復活を果たす。

テレビ朝日系列の『アメトーーーーーーク』に出演したのもこのころだ。その後、2011年の東日本大地震を機に、チャリティライブを行うために再結成。頻繁なツアー活動を開始して新曲も発表、今年が結成30周年に当たる。

デビュー間もなく、日比谷野外音楽堂で開催された単独ライブに行ったのを、ぼくははっきり覚えている。正直なところ、会場全体を埋めるだけのお客が入るのか疑問だった。なにしろ、デビューから時間が経っていなかったし、その日は大雨だったからだ。

ドラムを担当する小林雅之から「観に来てください」と、チケットが送付されて来たから、なんとなく行ったにすぎなかった。

席は学生時代の恩師である英語の教師の隣だった。バンド名の最後に“(S)”が付くのは、「複数のメンバーで結成しているのだからSがないのはおかしい」という、彼らの恩師でもあるその英語教師のアドバイスによるものだったと聞く。

演奏が始まろうという時、ぼくの心配は杞憂であるのを思い知らされた。大雨でも満員の客が詰め掛け、熱狂的な声援をもって彼らを後押しし始めたのだ。

最後列にいたぼくのすぐ前で、人々が曲に合わせて飛び跳ねる。こぶしを振り上げる。そこにはなんともいえない一体感があった。

音楽堂の周囲は官公庁とオフィス街、静寂に包まれている。しかし、日比谷の森の一角は、猛烈な熱気に包まれていた。







ドラム担当の小林がぼくにチケットを送ってきたのには理由がある。“同じ恩師”ということでおわかりだろうが、ぼくと小林、ボーカルの宮田和弥、森純太は同じ学校の出身だ。

この学校はヒバリーヒルズにあり、幼稚園から大学までの一貫教育をモットーにしている。
いい意味で一癖も二癖もある学校だから(中学入学直後に寮で自身が使う机や椅子を作ったり、植林をしたり、農作業をしたり…)、このコラムでも何回も触れてきた。

大学生が小学生の面倒を見るのも当たり前のことだった。

ぼくは高校の時にスキーの1級を取得し、大学1年で水上救助員の資格を取り、さらに体育会のサッカー部に所属していたから、大学の4年間は小学校の生徒たちを対象にした水泳授業、スキー教室、サッカー教室のコーチをしてほしいと、小学校の体育教師からお呼びがかかった。

その時の生徒のひとりに小林がいた。大学1年の時に彼は小学3年、2年で4年、3年で5年、4年で6年と、ぼくの大学生活の4年間と、彼の小学校時代は完全にかぶった。宮田と森は中学からこの学校に来たから、ほとんど面識がない。しかし、小林少年は四季を問わずまわりにいた。

ドラムを始めた時に、スティックを手に学校の行き帰りの道すがら、いろいろなものを叩いて練習に励んだと笑う小林は、小学校の時から根性があった。

水泳はそれほど上手くなかったが、サッカーはかなりのものだったし、ボールを追う根性が人一倍だった。スキーをやらせれば、やたらにジャンプをしたがるし、新雪を前にすればどこまでも滑っていってしまった。

その根性はいい意味でも悪い意味でも、普段から発揮されていた。

学校のグラウンドは正門を出てすぐのところにあった。小学生が帰宅するころ、大学生のスポーツ部が練習に励んでいる。

ぼくの所属するサッカー部は、当時、大学の1部だったし、仮にもぼくは彼のコーチである。そのぼくや友人に向かって「へたくそー、もっと走れー!」と、怒鳴りながら帰っていくのがお決まりだった。しかも、毎日、毎日。

野球部が練習していても同じだ。当時、背番号18は巨人の堀内に代表されるエースナンバーだった。ぼくの親友はエースとして18番を付けていた。その彼に向かって、「ちゃんと投げろー、デブほりうちー!」とヤジを飛ばしてから帰るのである。親友の名前は堀内ではない。背番号が同じで、少々いい肉付きをしていたが、決して太ってはいないのに、である。

それから月日が経って、彼はドラマーとしてバンドをリードしていた。もしかすると、ぼくにチケットを送付してきたのは、「成長したやんちゃ坊主の姿」を見てほしかったからかもしれない。







中野サンプラザが満席となる2200人の聴衆を前に、彼らはほとんど休憩時間をとらずに25曲を披露した。

日比谷から30年が経つが、彼らのパワフルさはなんら変わりない。ボーカルの声量はちっとも衰えていないが、歳月が経ったぶん、どことなくやわらかさが加わって聞き心地がいい。

小林は昔と変わらずに、ひたすら軽快な音を出していた。

もちろん、さまざまなライブにこれまででかけている。しかし、年齢とともにバラード系を得意とする歌い手のコンサートやクラシックなども増えていた。バンドは久しぶりだった。

ライブが始まる前は、「全曲立っているのはしんどいなぁ」と思っていた。

しかし、ライブが始まるとそんな気持ちはどこかに飛んだ。まわりと一緒にこぶしを突き上げ、タオルを投げるパワーが身体の中にまだ残されていたのである。

年齢は関係ない。高揚感が心地いい。



これからの季節、野外での音楽フェスが盛んに開催される。「あれは若者だけのもの」といった気持ちがどこかにあった。

しかし、それは違うのだと、JUN SKY WALKER(S)のライブに行って感じた。青空の下で、星空の下で、音楽でミュージシャンも観衆も一体となる。体をリズムに合わせて動かす。こんなに楽しいことはなかなかない。

正直なところ、中野サンプラザのJUN SKY WALKER(S)ライブでも、知っている曲は半分以下だった。ところが、すべての曲を楽しく聞けるのだ。すべての曲を堪能できるのだ。チケット代以上の楽しさが手に入るのだ。それがライブなのだと思う。

音楽フェスではさまざまなバンドが出演するケースが多い。なかには知らない名前もあるだろう。しかし、どんなバンドであっても、盛り上がれるのは間違いない。



音楽フェスの一つとして「気志團万博2018」が房総半島の袖ケ浦で9月15日、16日に開催される。

気志團、竹原ピストル、TRF、ゴールデンボンバー、東京スカパラダイスオーケストラ、森山直太朗、ももいろクローバーZたちと一緒にJUN SKY WALKER(S)も出演する予定だ。

野外音楽フェスも体験したいという欲求が次第に大きくなるこの頃なのである。

「おでかけマガジン」より、みなさまへ読者プレゼント実施中!

【ご参考までに】

JUN SKY WALKER(S)
http://www.junskywalkers.jp/

●氣志團万博2018
https://okmusic.jp/news/252504
< PROFILE >
篠遠 泉
休日と旅のプロデューサー。主な出版物に『ぶくぶく自噴泉めぐり』『温泉遺産』、『パックツアーをVIP旅行に変える78の秘訣』などがあるほか、『温泉批評』『旅行読売』などに執筆中。観光地の支援活動も行っている。
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