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航路が輸送の中心だった昔、海から見える特徴のある山は船乗りたちの目印であり信仰の対象になりました。陸路が中心になった現在、海を渡る巨大な橋はそのルートの象徴でもあります。瀬戸大橋は陸路パワーにあふれていました。

鷲羽山から見る瀬戸大橋の一部


金刀比羅宮は海運の安全を守る神様でもあります


讃岐富士とも呼ばれる香川県の飯野山


海外クルーズ船の日本販売代理店を経営している知人がいます。その方に誘われて7泊の地中海クルーズにでかけたことがありました。

イタリアや南仏の小さな街、マヨルカ島やバルセロナをクルーズでまわる旅は快適で、景色も素晴らしく、さすがに地中海クルーズだと感激したものです。

その船はアメリカの会社が経営しているのですが、“常連さん”たちにとって人気のエリアは地中海航路だけではありません。パーティで知り合ったアメリカ人の常連さんに話を聞くと、世界にはいくつかの常連さん憧れのクルーズルートがあるそうです。

たとえば、氷河が崩れるシーンをすぐ前に見るアラスカルート。ハロン湾やプーケットなどをめぐるアジアルート。そして、瀬戸内海を通るルートの人気が高いことがわかりました。



大きなクルーズが停泊できる神戸港に入港する前に、乗船客たちは最上階のデッキに出ます。

デッキからは碧い海に浮かぶ数々の小島が眺められます。四国や本州には特徴的なかたちをした山があります。そして、西から神戸港を向かう時には、しまなみ海道の橋や瀬戸大橋、明石海峡大橋といった巨大な橋の下を通過します。

まさに、瀬戸内海クルーズのクライマックスというわけです。瀬戸内海の多島美と連続する美しい橋は、クルーズ通をうならせる魅力にあふれています。



今回はパワースポットとして瀬戸大橋を取り上げます。この連載でも過去に金刀比羅宮を取り上げています。金刀比羅宮は海から眺めると象のかたちに見える象頭山(ぞうずやま)にあります。この山はかたちが独特で、海運が盛んな昔において目印になりました。

上方から北海道までの海路を往復した北前船は金刀比羅宮に航海の無事を祈り、復路に象頭山を確認して上方に戻りました。

象頭山はやがて信仰の対象になり、金刀比羅宮は全国に知られるパワースポットになりました。



金刀比羅宮を訪れると、大きなパワーを感じます。しかし、パワーを感じるのは金刀比羅宮だけではありません。香川県にクルマで向かうときに通る瀬戸大橋に、現在の力が結集された底知れぬパワーを感じるのも事実です。

人々の学力と知識を結集させ、それに基づいて人の手によって建造された瀬戸大橋も偉大なるパワースポットだと感じてしまうのです。

坂出側から望む瀬戸大橋


鷲羽山から望む瀬戸大橋、左奥に飯野山が見えます


坂出側の瀬戸大橋タワーから塩飽諸島を眺めました


瀬戸大橋は岡山県倉敷市と、香川県坂出市を結ぶ橋の総称です。塩飽(しわく)諸島の5つの島の間に6つの橋梁が架かっており、橋梁部は長さ9368m、高架部を含めると13.1kmの長さになります。完成は1988年です。ちなみに、明石海峡大橋の開業が1998年、しまなみ海道のすべての橋梁が完成するのは1999年ですから、瀬戸大橋が先輩になります。



完成時の逸話としては、“淡い灰色”に塗装されたことでしょうか。日本画壇の重鎮であった東山魁夷の父方の出身地は香川県の島でした。そんな縁から瀬戸大橋着工の際に東山魁夷に意見を求め、「自然美を壊さない色に」との提案によってカラーが決まったそうです。



瀬戸大橋の坂出側には東山魁夷せとうち美術館があり、瀬戸大橋を間近に眺められるタワーも完成しています。

一方の岡山側には鷲羽山があります。

鷲羽山は瀬戸内海国立公園の代表的な景勝地です。鷲が翼を広げた様子に似ていることから名付けられました。

標高133mと高くはありませんが、すぐ目の前が瀬戸内海です。山頂から見渡すと、瀬戸内海の静かな海と、塩飽の島々、そして瀬戸大橋の向こうには象頭山や讃岐富士(飯野山)、広い屋根のような形状の屋島が見えます。

屋島は源平合戦の地の一つとしても知られています。平氏の軍船に掲げられた扇を源氏方の那須与一が落としたというエピソードで知られる場所でもあります。

鷲羽山もまた瀬戸内海を見下ろす場所であり、山麓にはいくつかの神社や寺があります。

ここもまた瀬戸内海のパワースポットなのです。



鷲羽山側から、そして坂出側からと、両側から瀬戸大橋を眺めてみてください。同じような景色を想像してしまいますが、橋の奥の背景も含めて似ていて非なる景観が楽しめます。

そして、このふたつの地点を結ぶ瀬戸大橋の雄大さに圧倒されます。物資の輸送が海運主体から陸運主体になってから、ずいぶん歳月を重ねました。海を渡る橋の存在は、陸運を支える重要な礎でもあります。

塩飽諸島の小さな港


塩飽諸島には印象的な木造建築がありました


瀬戸大橋の下を行き来する大型船


瀬戸大橋が塩飽諸島の5つの島々を結んで本州と四国を結んでいるのを前述しました。

塩飽諸島には28もの島があります。戦国時代には「塩飽水軍」と呼ばれる操船に長けた島民がいました。



近年小説にもなった「村上水軍」は、しまなみ海道が結ぶ来島や因島などを中心に活動していましたが、塩飽水軍は瀬戸内海の東側、ちょうど瀬戸大橋が架かる海を活躍の場としていました。

塩飽水軍については源平合戦の屋島の戦いで活躍したという説からはじまり、織田信長や豊臣秀吉とも関わりがあったとされています。当時、瀬戸内海は日本の交通の要衝でしたから、そこを支配する塩飽水軍との関係は重要な意味合いがあったことでしょう。



私も塩飽水軍が住居を構えたという島に何度か上陸しました。もちろん、現代に塩飽水軍はいません。しかし、そこに見るのは海の風に耐えうる木造建築の家々や小さな港のある風景でした。

塩飽水軍が優れていたのは操船技術だけではありません。造船についても一流でした。

木造の船を自分たちで造り、操作して瀬戸内海を支配していました。



陸路が日本の交通の中心に移行していくと、徐々に塩飽水軍の活躍の場はなくなりました。

彼らはほかの土地にでかけて操船を行ったりしましたが、とくに力を発揮したのは“大工”としての腕だったそうです。

造船技術をそのまま活かし、瀬戸内海沿岸の木造建築に役立てたのです。ときには“宮大工”として神社や仏閣の彫刻や細かい細工にも力を発揮したといいます。

彼らが活躍した塩飽の島々もまた、パワースポットといえるのではないでしょうか。

瀬戸大橋とその周囲は、さまざまな時代において日本を支えていた人たちが行き来した特別な場所でした。

「おでかけマガジン」より、みなさまへ読者プレゼント実施中!

●山陽自動車道倉敷JCTから瀬戸中央自動車道に入って瀬戸大橋へ。児島ICで降りると鷲羽山や瀬戸大橋架橋記念公園などに立ち寄れます。海を渡って坂出北ICで降りて自動車沿いに戻れば東山魁夷せとうち美術館や瀬戸大橋タワーに行けます。
< PROFILE >
遠藤 里佳子
旅行雑誌ライター。国内外の旅を多く取材。全都道府県を制覇(通過ではなく宿泊をしてカウント)したのは32歳のとき。ハワイやカナダ、オーストラリア、東南アジア、中国など太平洋圏に詳しい。
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